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旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

世界の涯ての弓

旅立ちの夜明けに

世界の涯ての弓 (Mephisto club)

世界の涯ての弓 (Mephisto club)

 最後の一文を書き終え、小説全体を終結させる句点を打ち込んだのは、小説のなかとおなじ、もうすぐ夜が明けようとしているときだった。まだ街はめざめておらず、しんとしていた。でも、ぼくは高揚した気持ちで薄暗い街へ出ていった。そして、夜明けととともにビールで乾杯をした。
 なんともいえない味がした。五七〇枚という原稿を書き終えて、永く涯てしないトンネルをようやく抜けた、という安堵はもちろんあった。トンネルのなかを歩きつづけている間、果たしてこの先に出口はあるのか、という強い不安に襲われたことが、二回、あった。だが、もう後戻りするには、進みすぎていた。こんなふうにして――出口もみえず、後戻りもままならない地点へ追い込まれ、――小説家は、ずっと小説を書いてきたのかとも感じた。
 一方、そうした暮らしが日常になってくると、そのなかの情景こそが現実であり、トンネルの外にひろがる、それまでは疑いのない現実だと思っていた風景が、どこか脆く、崩れやすい、嘘のようにみえてくるという奇妙な実感も味わった。ひとは言葉で生きている。書きつづけている小説世界の言葉が徐々に堅牢になり、ひとつひとつの言葉が――ひとの名前や、土地や通りの名や、電話の音や、誰かのしゃべり声が――少しずつ目にはみえない力を備えてくると、ひとの目にみえる、物そのものの領域を侵犯してゆくのである。
 夜明けのビールは、そうした永い営みが遂に終わったことを、ぼくに教えてくれた。嬉しくもあり、逆に寂しくもあった。だが、とにもかくにも、阿馨(アーシン)が旅立ったことは、めでたく感じられた。そして、サリー・ウォンがぎりぎりのところで、泣きじゃくりながら香港にとどまったことも。
 ぼくは、彼らふたりが――昨夜まで、ぼくのすぐ近くに佇んでいた彼と彼女が――この夜明けとともに、ぼくのそばから遠く離れていったことを実感した。少しずつ動きはじめてきた夜明けの街で、ぼくはビールを飲みながら、やはり深い安堵と、いくばくかの寂しさと、それからまだみぬ読者への遥かな想いが入り交じった、なんともいえない気持ちで、小説を書き終える、とはこういうことなのだろうかと感じていた。

 初めての小説を刊行するにあたって、司修氏に装丁していただき、筒井康隆氏から推薦の文章をいただきました。心より感謝します。
 筒井康隆氏は、実のところ、子供のころから、ぼくにとって、小説の、ただひとりの先生でした。氏が主宰されていた「ネオ・ヌル」というSF同人誌に、ぼくは十二歳から十五歳まで、短編小説(ショート・ショート)を送って、その誌上で寸評をもらってきました。小説の実作者から――それも純粋に文芸的な実験を涯てしなく追究しながら、広範な層に熱烈な読者をもちつづけている、現役の作家から――自作の短い小説についての評価がもらえる、という根源的な経験があったからこそ、「ネオ・ヌル」が終刊した後も“小説をつくる”という、針の穴のような、けれども揺るぎない、ひとつの特別な視点から、ぼくは本を読みつづけることができました。そうやって、永い間の宿題を果たすように、結末に辿り着いたのが、この小説です。
 司修氏には、ひとつだけ、希望をいいました。それは、タイトルの文字(書体)をつくってほしい、ということです。昭和半ばより以前に時代を遡れば、日本で刊行されてきた本のタイトルの文字は、ことに小説では、新聞や雑誌のふつうの活字体ではなく、そこだけにしかない、特別な文字で装丁されたものが実に多くみられます。そんな本が、ぼくは大好きでした。司修氏は、ぼくのわがままを聞いてくれました。お気づきでしょうか? “世”のうえの、突き出した三本の棒の長さが、みんな違います。“界”のしたの二本の足の長さが違い、上下、左右のバランスもふつうの書体とは異なります。これらは司修氏がデザインしてくれた、この本のうえにしかない文字なのです。
 講談社の唐木厚氏、文芸図書第三出版部長の宇山秀雄氏には、執筆から校正、制作の全過程にわたって、ぼくの創作の意図を慮っていただきました。このようなジャンル分けすることが難しい長編小説を、一冊の本にして、読者に届けてもらったことに、心より謝意を表します。

 そして、この本を手にして、最後まで読んでくださった読者の皆様とは、サリー・ウォンにみおくられて、阿馨が金蓮城(ゴールデン・ロータス・シティ)へ旅立ったことと引きかえにして、もはや疑いもなく、こうして奇跡的に、我々が出会えたことを、心より祝いたいと感じています。