旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

アジア夜想曲

h_major2007-06-10

鳴り止まぬ音楽

 ショパンがつくったピアノ曲がまったく響いていない時間など、もはや地球上ではひとときも存在しないと信じて疑わぬ友人がいる。彼はしたり顔でこういう。まったくの初心者や幼児を除けば、ざっとみてピアノを習っている者、かつて習っていた者の二十人にひとり、ひょっとすれば十人にひとりは、ピアノに向かえば、うまい下手はともかく、ショパンを弾いている。ピアニストたちの演奏会でも、ショパンは人気ナンバーワンのプログラムだ。控えめにみつもっても、ピアノ・リサイタル全体の一割以上をショパンが占める。どんな土地でも、日が沈み、やがて日が昇る。地球上では昼も、夜も、朝も、同時に流れている。そうしたときの流れのなかで、バトンを手渡すように、世界中でショパンは鳴りつづけている。そうでない世界を想像するほうが困難だ、と。

 その話を聞いてから、ぼくは想うようになった。旅人も、たとえば鳴り止まないショパンのようなものだ。こちらは誰もが確信をもって想像できる。この地球上で終点のないドミノ倒しのようにつづいている、それぞれの昼や、夜や、朝を、ひとがひとりも旅していない時間など、ひとときも存在しない。
 人類が生まれてこの方、ずっとそうであった。どんな瞬間にも旅人は必ずいた。そして今もいる。ぼく自身が旅に出ているときは、ずっと手渡されつづけてきた、そのみえないバトンを手にしているときなのだと想う。
 この壮大なリレーには今のところ、ゴールはなく、アンカーもいない。可能性としては、旅人が突如、世界から消え去ることもあるだろう。ひとが絶え、この世界が滅びれば、すべてはお仕舞いだ。バトンを手にした、すべてのひとがアンカーになりうる。ぼくは最後の旅人にはなりたくない。もらったバトンは必ず、ひとの手に渡したい。

 いつもながら、ぼくの旅を真心で支えてくれたひとたちに感謝したい。彼ら、彼女らとの幸運な出会いがなければ、この本はできなかった。光文社の小松現氏には『アジアもののけ島めぐり』に引きつづいて、お世話になった。
 もしあなたがこの本を読んで、旅に出たいと思ったとしたら、きっとぼくはみえないバトンを、うまく手渡せたのだ。そうであれば、またいつかうまくぼくの手にバトンを手渡してほしいと思う。
(光文社文庫/2000年/本本イラスト おちあやこ)