旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

荻窪で原稿を書き上げた林馨(はやしかおる)

 もう夜中の二時を回っていた。それこそ、どこからか鬼があらわれてきそうな時刻である。馨は大きく伸びをすると、原稿データをまるでいけすかないが、尊敬には値する老人が、ひとりで仕事をしているであろう青山のマンションへと送信した。そして冷蔵庫からビールを取りだし、グラスに注ぐ。
 鬼のことはずっと前から想っていた。こういういいかたはおかしいかもしれないが、馨はいつからか鬼のまなざしが、空の向こうから、またあるときは地面の下から、マイクロウェイブのように伝わってくるような感覚を持っていた。電子レンジのなかの牛乳のように、それによって自分の体温が保たれ、頭が働いてきた、というような気もする。
 だが、ミルクにはひとの言葉がわからないように、ひとには鬼の言葉がわからない、という感覚も明確にある。くるくるくると電話が鳴った。受話器を取ると、やはり琴(きん)じいさんだった。


……「世界の涯ての弓」より