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旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

セントラル・パークの南、ニューヨーク

h_major2007-07-08


 セントラル・パークから南へと出たところで、赤茶けた旧(ふる)いビルがあった。車寄せの屋根が五つも連なっていて、いやに大仰で、しかもその屋根の上では巨大な星条旗がひるがえっている。
 ぼくははじめ老舗の中級ホテルかなにかだろうかと思いつつ、凍えそうな寒さにからだを顫(ふる)わせながら、じっとその建物をみあげた。ホテルのようにも、旧いマンションのようにもみえた。その建物の入り口の太い柱に、一枚のポスターが金色の額に収められ、仰々しく貼り出されていた。
 ズービン・メータ指揮、ヴァイオリン独奏イツァーク・パールマンイスラエルフィルハーモニー……という華々しいコンサートのポスターだった。ときは三日後、演奏会場はカーネギー・ホールと記されている。
 そういう世界もあるのかと、ぼくは心底、羨ましく感じた。ぼくは真冬のニューヨークをあてもなく歩く、ひとりの旅人に過ぎなかった。気温は氷点下、どれくらいであったろうか。吐く息が白いなどどいう生易しさではなかった。無防備に街路を彷徨(さまよ)い歩いていると、耳が赤く千切(ちぎ)れそうになってきて、慌ててダウンタウンのドーナツ・ショップに飛び込み、薄汚れたカウンターでコーヒーをマグ・カップ三杯も飲んだものの、冷えきったからだは容易には暖まらず、その近くのスーパーで毛糸でできた、旧式のヘッドフォンのような耳あてを買い込んでつけていた。それでも、耳の奥からはきいんという金属音が響きつづけているような気がした。
 ぼくはポスターが収められた、きらびやかな額をみつめ、それから車寄せの屋根からつづく、建物の壁際をみて、おやっと思った。どちらにも“CARNEGIE HALL”というゴシック体の文字が、刻まれていた。もう一度、ぼくは目の前の古ぼけた建物を、じっとみあげた。どうやら間違いはなかった。目の前の建物が、当のカーネギー・ホールだった。


……「カーネギー・ホールのドアの向こう」より