旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

京都、貴船神社

h_major2007-07-15


 叡電(えいでん)の貴船口(きふねぐち)でひとり降りると、山の冷気がそっと頬を撫でてくる。山のなかの駅はプラットホームを除けば、まるで堀っ建て小屋のような切符の販売機の後ろに、駅員がひとり隠れるように籠っているだけである。遂に、貴船の神様に呼ばれてしまった、と思いながら、ぼくは胸一杯に懐かしい貴船山の空気を吸い込んだ。
 足下を流れるせせらぎが、貴船川である。京都市内を悠然と流れる鴨川は、市内の北東部、ちょうど今出川通りに接する地点で、賀茂川と高野川とに分岐する。その高野川のひとつの源流域が、貴船川である。つまりは鴨川の源流でもある。
 貴船口から貴船川に沿って、ひたすら山のなかの道を歩いていけば、およそ三十分ほどで貴船神社がみえてくる。
 日本人ならば誰でも人生のなかで親しくかかわった神社のひとつ、ふたつくらいはあるだろう。ぼくもそうである。ひとつは大阪府吹田市の垂水(たるみ)神社で、もうひとつがこの京都の貴船神社だ。
 吹田は十四歳まで過ごした土地で、垂水神社は幼いころからの遊び場であった。垂水という地名は、文字どおり“垂れる水”を指している。ぼくは水と縁が深いのかもしれない。神戸の垂水と競うように、吹田の垂水も「石走るたるみの上のさわらびのもえいずる春になりにけるかも」と万葉集に歌われた“ほんとうの土地”だと、地元では伝えられていた。ぼくが通った小学校の児童の詩集のタイトルは“さわらび”だった。
 その後、大学受験に失敗して、ぼくは京都の御所に面した、烏丸通り沿いにある予備校へと、大阪から毎日、通った。そのころは地下鉄もなく、阪急烏丸駅から満員のバスに揺られ、くたくたになって、今出川通りへと辿り着いた。退屈な予備校の授業が終わった後、ぼくはよく夕刻の御所でただぼんやりと過ごした。腹が減ると、御所のなかの簡易食堂で、ひとりニシンそばを食べた。それくらいでおさまらないくらい、目の前が灰色になったとき、御所を横断して、あるいは今出川通りを歩いて、鴨川を越え、出町柳(でまちやなぎ)へと出た。
 そして、ひとり叡電に乗った。ぼくは隅々まで煮詰まったからだと心を持て余して、ただ山のなかへと逃げたかった。その行き先は、いつも貴船神社だった。貴船口から貴船川に沿って歩いているうちに、少しずつからだの調子は恢復し、貴船神社の奥宮へと着くころには、もうすっかり持ち直していた。
 あまりひとの姿のない貴船神社は、ぼくにはいつも優しく感じられた。貴船山に抱かれた貴船神社で、いったい幾日、黄昏どきを過ごしたことだろうか。いったいどれだけの時間、ぼうっとして貴船川のせせらぎを、みつめていたのか。浪人暮らしを切り上げて、東京に出てゆくことが決まってから、真っ先にでかけて、わかれを告げたのも、貴船神社である。
 けれども、それから十数年……。東京で暮らすようになった、ぼくの足は貴船神社からすっかりと遠のいていた。だから、もういい加減、挨拶にやって来い、と貴船の神様に呼ばれてしまった、と感じたのである。


……「京の呪詛、丑の刻参りの原風景を歩く」より