旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

“ピアノのもと”を弾くウィリアム・ケアリー

「馬鹿だな。これはチェロじゃないさ。“チェロのもと”なんだから」
 おれにはなんのことかわからなかった。やがて、はじめにおれの名を呼んだ男が、また叫ぶようにいった。
「こいつはどうも話がわからんようだ。ウィリアム・ケアリーを呼んでこい!」
 笑い疲れたやつらは、また愉しげに輪になって踊りはじめた。おれはその輪のなかでぽつりとひとり立ち尽くしていた。やがて、四人の男が、横長の箪笥(たんす)のようなものを、輪のなかに運んできた。よくみると蓋(ふた)がついていて、蓋を開けると、かわいい鍵盤が並んでいた。オルガンのようにみえたが、鍵盤の並びも大きさも、少しずつバランスが違う。その後からよれよれの襤褸(ぼろ)を纏(まと)った男がひとり、輪のなかに入ってきた。驚いたことに、男はおれに握手を求めた。
「やあ。ようこそ、リチャード」
 おれは握手しながら、その男をみつめた。痩(や)せこけてはいたが、その顔つきにはどこか気高いところがあった。
「ウィリアム・ケアリーだ」
 輪のなかから“ウィリアム、早く弾いてくれよ”という喚声が上がった。彼は音の調子を確かめるようにして、二、三の鍵盤をぱらりぽろりと叩いた。おれは驚いた。オルガンの音ではなかった。ピアノやチェンバロに近い、張りつめた弦の振動音が、輪のなかに響いた。
「これは?」
 戸惑うおれをみて、彼は他のやつらのように笑いはせず、優しく答えてくれた。
「“ピアノのもと”だよ。……君が驚くのも無理はない。ぼくだって、この“ピアノのもと”をはじめてみたときは、あっと驚いたものさ」


……「輪のなかのとき」より