旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

首里、沖縄

h_major2007-08-06

 首里の街の裏通りを歩いていて、ただ沖縄の古い家のことが知りたくて、なんの伝てもあてもなく、通りすがりに古い赤屋根の民家を訪ねたところ、その家のお祖母さんが亡くなられた直後で、まだ座敷に遺体が安置されていたことがあった。
 ぼくは慌てて、その家を辞そうとした。だが、玄関にあらわれた奥さんは、おかしな訪問者に驚きながらも、これもきっとなにか深い縁があるのでしょう、お線香を上げていってください、といった。
 そして、ぼくは生前に一切のつきあいがなかった、首里のお祖母さんの白い布がかけられた棺に向けて、お祈りをした。その昔は、まれにあったかもしれない。けれども、今となっては、こんなことは東京や大阪ではありえない。お祖母さんは九十歳を越えた大往生だったということで、その古い屋敷は健やかで清々しい気に満ちていた。ただ柱だけを残して、東西南北に向けて開放された、家のつくりが、そう感じさせたのかもしれない。
 ぼくは棺の前で感じたままにいった。
「とても心地好い、お座敷ですね」
「そうですか。このあたりの古い家は、みんなこんな感じですよ」
 ぼくは亡くなったひとの写真をじっとみつめた。
「とても優しいお顔ですね」
 奥さんは嬉しそうに微笑んだ。
「遠来のあなたが拝んでくれたので、きっと喜んでいます。……お客さんが大好きなひとでしたから」
 風とおしがいいということは、ただ風だけの話ではない。その言葉が、さまざまな比喩として使われるには、使われるだけの意味がある。ほんの五分前までは予想もしていなかった展開となって、ぼくは目の前に横たわっている死者に祈りを捧げながら、なんて風とおしのいい家なのだろうかと感じた。
 ひろく知られているように、沖縄ではひとの魂はマブイとよばれ、元気がなくなったり、病気になったりすれば、そのひとはマブイを失ったり、どこかに落としてきたと解釈されてきた。そうなると、魂籠み(マブヤークミ)という魂奪還の儀式が、周囲のひとたちの手で、執り行われる。マブイはその持ち主が責任をもって、ひとりぼっちで管理するものではない。その行方を縁者、みんなが気にかけている。沖縄では死もまたそうなのだ。死は、死者がただひとり、死ぬのではない。その死に縁がある者は、ひとり残らず、その死を迎え入れ、支えている。そして、ひとの死になんの縁がない者など、ほんとうは誰もいないのだ。死は誰もが避けることのできない、自然なのだから。
 白い布がかけられた棺の前で、ぼくはそんなことを思っていた。家のなかで祈りはじめると、奥さんがいってくれたように、やはり亡くなられたお祖母さんとぼくは、どこかで縁があったのだろうかと思った。
 その首里の家のなかで、ぼくは幼いときに立ち会った、父方の祖母の埋葬の風景を憶いだしていた。高野口(こうやぐち)という名の、高野山の麓のちいさな町に暮していた祖母の遺体は、あの世から迷って家に帰ってくることがないよう、墓場の入り口の決められた場所で、棺の担ぎ手によってくるくると何回転もさせられた。それから、会葬者みんなの手で、見晴らしのよい丘の中腹に土葬された。そのころ、その辺りの土地では、まだ土葬がごく当たり前の埋葬法だった。ひとと自然との、切っても切れないつながりのなかで、会葬者みんなが死を迎える感じが強くした。……後になって出席した葬礼は、ことにぼくが暮してきた大阪や東京での埋葬は、どうしても死者ひとりが死んでゆく感じがした。
 沖縄では埋葬して三、四年が経つと、遺体を墓からとりだしてきて、残っている肉をきれいにこそいで、骨を洗ってきた。これは洗骨式とよばれ、台湾の墓地でもおなじ習慣がある。沖縄でも、あるいは台湾でも、死者の魂を巡って、奇怪な幽霊騒動がもちあがるのは、洗骨までのことだ。洗われた骨には、もはや死者の魂は宿っておらず、きれいな骨だけの姿になって、その魂はようやく死者たちの郷(くに)へ旅立ったと解釈される。こうしてウチカビ(紙銭、死者が冥土で使うお金)がもたらした死のてざわりは、洗骨式で全うされる。そして、白い骨はまとめられ、祖先たちの骨がそろって眠っている、巨大な亀甲墓に納められる。


……「沖縄の妖怪、キジムナー一族と出会う」より