旋律的 林巧公式ブログ

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いつか宇宙を征服できますか?

h_major2007-08-23

 できません。人類の知性が宇宙をすべて理解する日もやってきません。論理的に考えれば、自明です。できることは、宇宙を征服した気持ちになる、宇宙をすべて理解したつもりになる、ことだけです。もし、人類の存在が、宇宙の存在に先んじているのなら――人類が存在する限りにおいて、宇宙が存在するのであれば――征服することも、すべてを理解することも可能かもしれません。そうした可能性もまったくゼロではないでしょう。しかし、人類が誕生する前にも宇宙が存在し、人類がいつか滅んだ後にも宇宙が存在しつづけるという立場をとるならば、宇宙を征服することも、すべてを理解することも不可能になります。人類が人類なりに、宇宙を征服し、あるいは理解したとしても、その営為、ないし知性を相対化させるものが必ず存在するからです。
 人類がこれまで果てしない時間をかけてつづけてきたような計算を、一瞬で解いてしまうスーパー・コンピュータが、二十一世紀の現在はあります。理論物理学という学問ジャンルでは、そうしたコンピュータをつかって、膨大な計算をすることを“実験”とよぶことがあります。少し昔であれば、計算すること自体、想定できないような計算を、何十時間もコンピュータを稼働させて解いてゆくのです。
 こうした営為を根底で支えているのは、“実験”を繰り返した果てに、いつか人類の知性が宇宙そのものを捉えることができる、という前提です。そうしたことについて、ぼくは同世代の理論物理学者と、ときおり話をします。
 ちいさなエピソードで面白い話はたくさんあります。たとえば、物理学が論理的に依拠しているのは、数学の体系です。だから、物理学と数学は、基本的におなじことばをつかっている、と、ぼくは思っていました。どうも違うようです。理論物理学の論理的な証明について、数学の世界から、それでは証明したことにならない、との批判が出ることがあるようです。世界は一様ではありません。
 おおきなエピソード――そうした証明の先に、いつか宇宙そのものを捉えられるかどうかについては、やはり意見がわかれます。これまでは到底わからなかった、驚くべき宇宙の姿がみえてくる、ということについて、疑いはありません。ただ、それが客観的な宇宙そのものである、という立場と、人類がみつけて、みずからの知性で理解した限りにおいての、ひとつの宇宙である、という立場にわかれるのです。