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旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

紅楼夢のこと

h_major2007-09-20

 この世に、終わらぬ宴(うたげ)はない。飲み干せぬ酒樽もなく、静寂に帰らぬ管弦すらもない。美男も、美女も、老いさらばえる。今、ここにある、官能の悦びに身を捧げても、後が空しいだけ。……その隘路(あいろ)を抜け出すためには、読み終わることのない物語でも読みつづけるしかない、とずっと思っている。
 だが、残念ながら、そういう本もない。架空のものならある。小林恭二の「小説伝」という小説中に、四百字詰め原稿用紙で四十万枚、全五百巻という分量の超絶長編小説が登場する。これなら“終わらぬ宴”に一瞬、浸れる。その小説の一部は、実際に「小説伝」のなかで読むことができるが、当然ながら、全巻通読はできない。「小説伝」自体は、原稿用紙わずか二百枚ほどの中編小説で、あっという間に読み終わってしまう。
 そこで時代のホコリを払って取り出そうと思うのは、曹雪芹(そうせっきん)の「紅楼夢(こうろうむ)」だ。その書名だけは広く世界に喧伝されている、この物語は全百二十章(原典の表記では“回”)で、邦訳文庫本は十章で一巻としているから、十二巻となる。登場人物をすべて数え上げた中国人によれば、男二百八十二人、女二百三十七人が、物語のなかに出てくる。
 そう聞けば、ストーリーは煩雑で、登場人物の名を覚えて読み進むだけでも、ひと苦労と感じられるかもしれない。だが、そんなことはまったくない。ひとつには、物語の大枠の構造がかっちりと定まっていること、またひとつには、あらわれては消える端役ももちろん大勢いるが、主要登場人物に尽きせぬ魅力と存在感があること、さらには、徹底してわかりやすい暮らしと人情のリアリズム描写によって、あわせて五百十九人もの登場人物が、タイトルどおり夢のごとく、眼前を通り過ぎてゆく。彼ら、彼女らの騒ぎのなかに身を置き、そっと聞き耳をたてている、という気にさせてくれる小説なのだ。これが十八世紀の中国で書かれた小説だということを考えると、まさに驚嘆すべきほどに。
 それでは「紅楼夢」とはいったい、どのような話かというと、まずはその極楽の舞台を説明することが早道だろう。最も外側の、物語の枠として設定されているものは、石である。すなわち、天上に大虚幻境(たいきょげんきょう)があり、その大荒山(だいこうさん)の無稽崖(むけいがい)というところで、仲間の石たちがみんな天のほころびを繕ったのに、ただひとかけら、それができなかった石があった。そこへ、たまたま僧侶、道士のふたり連れが通りかかり、地上の話をやりはじめた。
 道士たちは、その石に「ろくな所じゃない。行かぬがまし」と止めたが、石は美しい玉と化して、ひとりの赤ん坊の口にくわえられ、地上に降りる。……それから、幾世幾刧(いくせいいくごう)。ひとりの仙人がまた無稽崖を通りかかると、そこに巨大な石があって、何やら文字がびっしりと刻まれている。実は、この石こそが、地上に降りた石で、刻まれていた文章は、地上のはかない生活についての報告であった。……「紅楼夢」とは、その記録であり、これが物語の大外の枠。
 さて、地上での主人公は、件の美しい玉――通霊宝玉(つうれいほうぎょく)をくわえて生まれてきた美貌の少年、宝玉(ほうぎょく)である。彼は長安の賈(か)という大貴族の大邸宅に生まれる。賈一族はただ金持ちなだけではなく、文名も高く、一族で“栄国邸(えいこくてい)”“寧国邸(ねいこくてい)”というふたつの大邸宅を都に構えている。宝玉が生まれたのは“栄国邸”で、この富貴な屋敷が前半での物語の舞台となる。
 “栄国邸”とは、ひとまわりするだけでも、半日から一日はかかろうかというお屋敷。その実質的な権力者である後室に可愛がられたことから、宝玉は男の子であるのにもかかわらず、ひとつ屋敷に暮らす一族の美貌の女の子たち、黛玉(たいぎょく)、宝釵(ほうさ)、元春(げんしゅん)、迎春(げいしゅん)、探春(たんしゅん)、惜春(せきしゅん)らの寝室にまで自由に出入りして育ってゆく。
 そこでは、恋ともいえない、ほのかな感情が想起される。一方で、夢精なども、仙境で仙女から男女の秘事を授かったとして、リアルに描かれている。彼女ら一族の娘たちは、後に“金陵十二釵(きんりょうじゅうにさ / 金陵は南京の雅称)”と呼ばれ、絶世の美女十二名として、世に噂されるようになる。
 そのなかのひとり、元春――宝玉の姉――が皇帝のお妃(きさき)となる。この貴妃の省親(せいしん)――里帰りのため、賈一族は財力と文名にものをいわせ、まさにこの世の楽園とでもいうべき、大庭園を築き上げる。やがて、貴妃は「自分がいないとき、いつも庭園が閉じられているのは忍びない」と、一族の美貌の娘たちと宝玉らの佳人たちを庭園内に住まわせる。庭園にはいくつもの大きな屋敷が建てられ、巨大な池や山があり、またあちこちには幽玄な言葉の対聯(たいれん)、額が掲げられた。この庭園“大観園(だいかんえん)”が、物語半ばからの舞台となってゆく。
 宝玉は、やがてその美しい娘のひとりと騙されるようにして結婚し、それがため、もうひとりの娘は命を落とす。そこから先の物語は敢えて、ふれないでおこう。つまりは、仙境で天のほころびを繕えなかった、ひとかけらの霊石がのぞいた、はかない、うたかたの物語である。全百二十章を読み終わっても、宝玉や、彼を取り巻く美しい娘たちの面影、また“栄国邸”“大観園”という極楽の園は、しばし胸から去りはしないだろう。宝玉の宴すら、遂に終わった。その感に打たれ、目の前の浮き世暮らしが、少しは楽になろうというもの。松枝茂夫(岩波文庫)、伊藤漱平(平凡社ライブラリー)のふたつの訳がある。大判で読みたければ、伊藤訳がハードカバー(平凡社・中国古典文学大系)、そのカジュアル版のソフトカバーと出ている。


……「週刊文春」1998年4月30日・5月7日合併号より