旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

旧東京音楽学校奏楽堂、上野

h_major2007-09-26

 いったい、今、ほんとうはどこを歩いているのか。自分の足が踏みしめているはずの場所と時間が、実感として、さっぱりわからない。道筋とか、街並みの錯覚といった、ちいさな混乱ではない。……今、地球のうえの果たして、どこにいるのか、……どの時代を歩いているのか、……そういった巨きな位相の迷いとでも呼ぶしかない感覚である。


 生まれ育った大阪では、こうした感覚に陥ったことはない。東京ではある。黄昏どきになって、ひとの姿がめっきり少なくなった浅草の花やしき近くの通りを歩いていたとき、ふいにこの感覚に襲われた。そこが東京ではないように感じられてきて、かといって大阪ではむろんありえず、戦後の町とは俄かに信じられない気がしてきて、しかし過去の一時代でもない、実に不可解な気がしてならなかった。
 だが、浅草の場合は特別だろう。良くも、悪くも、浅草について書かれた文章は、余りにも数が多い。その一部とはいえ、それらを、ぼくは好んで貪り読んでいた。昔の浅草について書かれた文章は、あるいは数々の小説のなかで浮き彫りにされてきた浅草の情景は、たとえようもなく美しかった。
 浅草の伝法院通りに「大黒家」という天麩羅屋の老舗があって、もう十年以上も昔のことになるけれど、そこの四代目店主と知り合いになり、彼から思いも寄らぬ、演奏会のチケットを渡されたことがあった。店主は浅草、上野のアマチュア楽士たちで結成された市民オーケストラの中心メンバーで、その定期演奏会があるから、上野まで聴きに来い、というわけだった。ぼくもヴァイオリンを弾く、とわかった後の、同好の誘いだった。演奏会場は、上野公園のただなかに、ぽつんとたたずむ、旧東京音楽学校奏楽堂であった。
 東京音楽学校は、東京芸術大学音楽学部の前身となった学校で、日本ではじめて西洋音楽を専門として教えた、高等教育機関である。その中心的な演奏ホールであった奏楽堂は、日本最古の木造の西洋式音楽ホールであり、日本での西洋音楽受容の歴史は、ここからはじまったといっていい、特別な建築物だった。
 その公演の日、ぼくは時代がかった木造音楽ホールのなかで、浅草と上野のアマチュア楽士たちが演奏する、管弦楽を聴いた。ゆったりとした、いい演奏だった。「大黒家」の店主の顔も、彼の奥さんの顔も、奏者のなかにみえた。奥さんはオーケストラの団員のなかでは、指導者格のヴァイオリニストだった。奏楽堂の椅子に座って、ぼくはヴァイオリン・パートの音色にじっと耳を傾けていた。……やがて、自分が座っている椅子が、いったいどこに置かれているのか、……自分がどんな時代の演奏会にやってきたのか、……よくわからなくなってしまった。こうした感覚は、おそらく脳の機能にかかわることなのだろう。場所の取り違えを繰りかえす者は、方向音痴と呼ばれる。……時代の取り違えを繰りかえす者は、なんと呼ばれるのか。


……「季刊 幻想文学」第67号(2003年7月)より