旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

書店員の朝……青山ツインタワービル、流水書房青山店(1)

h_major2007-10-31

 わずか一か月ほどだったが、書店員として、働いたことがある。一か月など、働いたうちに入らない、といわれれば、それまでだ。だが、毎朝、まだシャッターの閉まった店に出勤し、厚手のエプロンを身につけ、新しい本と雑誌に囲まれて、朝から晩まで働いた経験は、あれから二十年経った今も、まったく色褪せていない。


 二十代前半のころだ。246(ニーヨンロク――国道246号線青山通り)の青山一丁目交差点、ホンダ本社の外苑東通りを挟んだ向かい側、青山ツインタワービル二階の流水書房青山店が、ぼくのひとときの職場だった。一か月というのは、ぼくが就職した出版社から書店研修というかたちで派遣されたからだった。当然ながら、ぼくは一冊の本も書いてはいなかった。けれども、必ず書くつもりでいた。いつか、自分が書いた本が、こうやって書店に並ぶ日が来るのかなあ、と想いながら、ぼくは働いた。
 流水書房青山店は、ワンフロアだけの書店だが、売り場面積は広く、雑誌の数も多かった。また洋書をずらりと並べた棚もあった。……というのも、流水書房は、洋販という洋書を取り扱う会社グループが経営している書店だったからだ。青山店は、そのころ、流水書房全体のなかでも旗艦店のような扱いの店だった。青山一丁目の他にも、成田空港の構内や、毎日新聞パレスサイドビル、当時はまだ新宿河田町にあったフジテレビの局内など、大勢のひとたちが行き来する、どちらかといえば華々しい場所に流水書房はあった。
 華々しい場所に店があろうと、そうでなかろうと、書店員の仕事はおなじである。書店に足しげく出かけるひとは、ときおり書店員と話をして、その仕事ぶりを端から眺め、彼らの仕事をすっかり理解している気分になっているかもしれない。だが、実のところ、客にみえないところでの仕事も多い。
 ぼく自身の経験から、ごくふつうの書店員の一日を、順を追って書いてみよう。
 出勤するのは、開店時刻のおよそ一時間から一時間半くらい前である。店に着いて、すぐにやらなければならないのは、その日、発売を迎える新刊本や雑誌を売り場に並べることだ。新刊本は書籍取り次ぎ会社が、段ボール箱に詰めて、毎日、配送してくる。ちょっと広めの書店だと、これが何十箱にもなる。複数フロアをもつ大型書店だと、何百箱にもなるだろう。三百六十五日、一日も欠かさず、それだけの新刊本が届くのである。なかには、発行前日の営業時間中に届いていて、店頭に出そうと思えば、出せる箱もある。
 子供のころ、いつも読んでいる雑誌の新しい号を待ちかねて、まだか、まだかと、毎日、本屋を覗いていると、正式な発行日の前日に、その雑誌が店頭に並んでいることがあった。そんなとき、ぼくはとても嬉しく、ものすごく得をした気分で、買って帰ったものだ。あれなどは、翌日発行分として昼間、配送されてきた本を、すぐその場で店頭に並べていたのだろう。
 一方、夜間や、早朝に届く箱もある。こうした箱は、ビルの管理人が受け取ってくれる。とにかく朝、出勤すると、シャッターの閉まった売り場の通路や、バックヤードの倉庫部分に、段ボール箱が山と積み上がっている。
 ――よし、今日も一日、がんばるぞ!
 と、書店員はシャッターの閉まった薄暗い店内で、新刊がぎっしりと詰まった段ボール箱をひとつずつ、開封してゆくのだ。商売道具は、大型のカッターナイフひとつ。これはエプロンのポケットに入れている。次から次へと段ボール箱を開け、刷り上がったばかりの本を取り出し、売り場に並べてゆく。
 新刊はたいてい書棚ではなく、平台といって、表紙がみえるように積み上げて陳列する台に並べる。だから、スペースがなければ置けない。新刊のために想定される場所は、前夜のうちにつくっておく。並べる場所が足りなければ、あらためて既刊本を整理して、平台のスペースをあけることもある。
 雑誌は、付録がある場合、本誌と付録は、それぞれ別のパッケージで届く。それを書店員が、一冊ずつ、付録を挟み込み、ゴムをかけてゆくのだ。小学館の学年別学習雑誌の、あの組み立て付録、ああいうものは一部ずつ、その書店の店員が手作業で挟み込んでいるのである。これは、なかなかの作業量である。そうやって仕上がった雑誌を、雑誌の平台に積み上げてゆく。
 流水書房で、ぼくの記憶に鮮烈に残っている雑誌は、「anan」(マガジンハウス)と「家庭画報」(世界文化社)だ。1980年代半ばのそのころ、「anan」はまさにあらゆる雑誌を凌駕する絶頂期で、また青山一丁目というのは「anan」が売れる土地柄だったのだろう、発売日にはちょっとした大人の背丈くらいにまで雑誌が積み上がった。それが面白いように売れて、なくなってゆく。端でみていて、あっと驚くほどだった。
 「家庭画報」は、とにかく重かった。この“重い”ということが、書店員にはこたえるのである。なにしろ、書店員は一冊、二冊という単位ではなく、二十冊、三十冊……、ものによっては百冊単位で扱うのだから。当時、ぼくが平台に並べた雑誌のなかで、「家庭画報」は、とにかく一番、重い雑誌だった。他の雑誌であれば、二〜三十册は積み上げたな、という肉体感覚で、ふりかえって確認すると、たった七冊しかない。そんな感じである。「家庭画報」にも根強い固定読者がいた。苦労して並べたものは、やはり売れていった。重いためか、定期の配達も多かったように思う。
 さて、そんなふうにして、新刊書籍や雑誌を売り場へ出し終えると、朝礼があった。店長、そして各部門――文芸書籍だとか、実用書籍だとか、文庫だとか、新書や、雑誌だとか――の担当責任者が、その日の注目すべき新刊について、また影響力のあるメディアで論評された書籍とか、社会的に話題になっている雑誌などについて――つまり、今日一日、売れそうで、問い合わせが多そうなものについて――ひとつひとつ言及し、店員の注意を喚起する。そして、ようやくシャッターは上げられ、店は開店を迎えるのである。
 この開店後の、一瞬、のどかな風景しかみていないから、書店員はゆったりと働けていいな、というひとがいる。だが、その静かな開店を迎えるまでに、実のところ、書店員はシャッターの向こうで、嵐のようなひとときを過ごしているのだ。
 大きな書店だと、書店員は各自担当する棚が決まっていて、開店後は、その棚について面倒をみることになる。開店前は、とにかく新刊を並べるのに手一杯なため、あらためて棚をみまわし、陳列具合を整えたり、本をきれいに並びかえたりする。ぼくは下っ端の店員だったから、決まった担当はなく、それぞれの店員が棚や平台を整える様子を、興味深くみていた。書棚にどんなふうに本を並べるかということは、それだけでひとつの哲学が問われる大きな仕事である、とぼくは思っている。
 たとえば図書館では、書棚の整理はシェルフ・リーディングといって、それ自体、きわめて根本的な日常業務のひとつだ。ぼくは学生時代、大学の図書館でも働いたことがあるのだが、まず真っ先に教わったのが、このシェルフ・リーディングだった。図書館の本は、厳密な法則のもとに分類され、背にラベルが貼られ、そのラベルの記号と番号に従って、書棚に並べられている。つまり、正しい本の並べ方というのが、ひととおりしかなく、だから、本の並びの正誤が瞬時に判断がつく仕組みになっている。書棚の谷間をゆっくりと歩きながら、誤った位置に戻された本を漏らさず、正しく並べ直すのが、シェルフ・リーディングである。図書館に求められているのは、合理的な検索が可能である、ということだ。そのためには、書棚の合理的な秩序が、どうしても必要なのだ。あるはずの棚から一段ずれたところに置かれているだけで、その本が永遠にみつからない、ということが起こりうるのだから。
 いうまでもなく、書店の目的は本を売ることであって、店内にもっている本を隈なく検索させることではない。だから、図書館のような“正しい書棚”は必要ない。だが、そうはいっても、客が決まった著者や、特定のジャンルの本を買おうとしたときに、どこにあるのか見当もつかないようだと、使えない書店ということになる。……売れそうな本を目立つコーナーに、ひとつの本に興味をもつひとがさらに買いそうな本を、その近くの目につきやすいところに、そして、ふつうの本は客が探しやすい並びで、というあたりが、ごくふつうの書店の書棚のつくりかただろう。書店はショッピングの場であり、特にめあてをもたず、欲しい物、そのものをみつけにやってくる客も少なくはない。だから、探しやすいだけでなく、ぶらぶらとするだけで楽しく感じ、何かを買いたくなる場所でもあることも求められる。その意味で、書店は、図書館の書棚とも、家の書棚とも違う、ハレの日の書棚をもっているべきだろう。
 さて、担当する棚をもたないぼくは、それぞれの書棚を、ふうん、そうなふうにつくるのかと感心して眺めたり、その担当者と新しい本についてちょっと立ち話をしたり、また探している本がみつからない客に、その在処を教えてあげたり、それが店頭の在庫になかったり、近刊のものであれば、注文を受けたり、にこやかな顔でレジに立ったりして、午前中は過ぎてゆく。
 書店員はみんな本が大好きで、だからこそ、書店で働いている、というのは、ひとつの幻想である、とぼくは思う。実際には、そんなことはない。しかし、一般社会のふつうの集団と比べてみれば、はっきりと本を愛している、と感じられるひとの比率が格段に高いことも、また疑いのない事実だと思う。……すなわち、書店員はみんな本が好きなわけではないが、ものすごく本が好きなひとがなかには必ずいる。
 ランチどきは、店は客で込み合い、それなりに忙しくなる。だから、ぼくたちはその前後に交代で昼食をとった。ぼくはレストランのランチタイムも終わろうかというころ、ツインタワービルの地下の食堂街で遅めのランチを食べるのが好きだった。なんというか、忙しいランチタイムの火照りがまだ微かに漂う食堂で、やれやれと店のひとたちがほっと一息つきかけているときが、好きなのだ。ちょうど、配送された新刊を箱からみんな出し、きれいに平台に並べ終わって、店開きのシャッターが上がる寸前の、ほっとした書店のようで。