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旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

キッチンからはじまる旅

h_major2008-03-12

 毎朝、ぼくは目覚めると、まずコーヒーをポット一杯分、淹れて、それから家族全員の朝ごはんをつくる。メニューは日によって違う。イギリス・パンと野菜スープであったり、スパゲティ・カルボナーラであったり、ホウレン草を使った翡翠炒飯であったり、カルビ・クッパであったりする。
 客を招くことも大好きで、客向けの料理もつくる。客は日本人ばかりではない。カナダ人や、ドイツ人や、セルビア人や、台湾人や、韓国人や、香港人や、ややこしいところでは、アメリカ留学帰りの、アメリカ人のような中国人とか、大阪鶴橋育ちの、関西人のようなカナダ人なども、やって来る。職業もいろいろだ。珍しいところでは、詩人とか、裁判官とか、社会学者とか、SF研究者とか……。大袈裟なことではないが、一応はそれぞれの文化状況を考えたうえで、遠来の客たちに手づくりの料理をふるまう。台湾人とは日本のおでんで盛り上がった。台湾には、名前そのままの、おでん(黒輪)が残っている。カナダ人とは、ワイルドライスを腹に詰めて、一羽丸ごと焼き上げた若鶏をほくほくと食べた。ワイルドライスとは、北米の先住民族が古来から食べてきた、米ではないが、米に似た黒い穀物である。
 旅に出たからといって、日頃はふり向きもしない、ちょっとかわったことをしても、たいてい失敗する。最も率がいいのは、たぶんひとが心から好きなことに熱中して取り組むときだ。奇跡が舞い降りるのは、そういう瞬間である。ぼくは肉が好きで、日頃から肉を食べている。旅に出たら、通り沿いの肉屋を覗き、レストランの肉料理に目を光らせ、とにかく肉については常日頃よりも貪欲になる。すると、あるとき神さまが信じがたくうまい肉を恵んでくれる。そんな巡り合わせが実際に起こる。だから、好きなものを食べるのが一番だ。
 それ以上、……ただ好きなものに巡り合う以上に、旅先で食べものに近づきたいと思うのなら、まず日頃から食べものをつくることが、ほんとうの近道だ。食べものは人間にとって、きわめて具体的、かつ根源的なものだ。ただみるだけ、話に聞くだけのものではない。香りを嗅ぐことができ、触ることができ、なおかつ食べることができる。その行為によってひとは生きる。こうした経験は、料理をするかしないかで根本的に違ってくる。
 男ならなおさらだ。食べものを自分でつくる人間と、つくらない人間とでは、生活の具体性が違う。「男子、厨房に入らず」という奇妙な習慣が罷り通ったため、日本の男は生活の具体性から遠ざけられ、みずから苦しんできた。中国文化圏では、客を招いたとき、男が料理をつくり、ふるまうことがごく当たり前の、そして、最上の接待である。欧米文化圏でも、たとえば炙りたての肉を客の目前で厳かに切りわけ、とっておきのワインを開けるなど、料理づくりのクライマックスでの華々しい役割が、男に与えられている。
 ぼくの一日は、コーヒーを飲みながらの、朝食づくりからはじまる。それは、ほんの短い旅でもある。そして、その朝のキッチンから、ぼくの次の旅はすでにはじまっている。


……「Z-Kan」vol.4(February 2001)より