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旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

ロシア語の巧くん

h_major2008-06-12

 「ピアノ・レッスン」という小説のなかに、アンドレイ・レヴィツキーというウクライナ人のピアニストが出てきて、彼がピアニストとして楽譜にサインをする、物語上、重要なシーンがある(サインは筆記体で、小説のページに、そのままあらわれる)。そのアンドレイのサインを、ウクライナ語で特別につくってもらったのが、スラヴ語学者の黒田龍之助氏だ。その黒田氏と、ひさしぶりにお茶の水で飲んだ。
 何をって? もちろん、ビール。ぼくたちは、いつだってビールではじまり、ビールがつづき、ビールで終わる。こんなにビールが好きな男には、世界のどこでも会ったことがない(と、互いに思っている)。また知っているひとは知っているが、お茶の水にはビールのうまい店があちこちにある。
 そのビールの合間に、NHKラジオ講座まいにちロシア語」の6月号テキストを黒田氏から手渡された。彼は、このロシア語ラジオ講座の講師を務めている。ラジオのみならず、彼はかつてNHKテレビ「ロシア語講座」の講師を務めたこともある。
「ここに巧くんが出てるから……」
「ロシア語の巧くんか」
 ひさしぶりに会うためにメールをやり取りしているとき、ロシア語講座のスキットに“巧くん”を出した、と黒田氏は伝えてきていた。こうして虚構の人物は、奇妙なひろがりをもって、つながってゆく。「まいにちロシア語」で熱心にロシア語を勉強する学習者で、なおかつ「ピアノ・レッスン」の読者で、ウクライナ人アンドレイ・レヴィツキーのサイン製作者のクレジットをみて、おやっと思い、「まいにちロシア語」の講師の名をみて、……そのスキットに出てくる巧くんの名をみて、「ピアノ・レッスン」の著者の名を憶いだして、“あれれ!”……と思ったひとがいたとしたら、その“あれれ!”は完全に正しい。
 ぼく自身の経験からしても、こうしたときの“あれれ!”が、偶然の一致や、他人の空似、なんてことは、まずなかった。世界はこちらが考えるよりも奥深い。やはりウラがあるものなのだ。
 さて、その巧くん、ロシア語でいったい何を喋っているのか。「まいにちロシア語」のスキット和訳から、少し紹介する。巧くんには、マリヤさんや、エレーナさんという友達がいる。
……
巧 〈これがわたしの部屋です〉
マリヤ 〈ここは本と雑誌ばかりですね〉
巧 〈読書が大好きなんです〉
マリヤ 〈それにしても多すぎるわ〉
……
マリヤ 〈エレーナさん、巧さん、何をしているのですか?〉
巧 〈わたしたちは休憩しているんですよ〉
マリヤ 〈どんなふうにくつろいでいるのですか?〉
巧 〈音楽を聞いています〉
……
巧 〈マリヤさんは日本語を勉強しているのでしたね〉
エレーナ 〈彼女は日本語をどんな感じで話しますか?〉
巧 〈なかなか上手ですよ。でも読むほうはまだあまりうまくありません〉
エレーナ 〈そうですよね。漢字がありますから〉
……
 ぼくはテキストを手に、東欧スタイルのビールのジョッキを傾けながら、ふうん、と、とても愉快に感じつつ、黒田氏と向かい合う。「ピアノ・レッスン」の本が刷り上がって、送ったとき、黒田氏は“ひとつの長編小説のなかで、ひとりの読者として、自分自身がつくったはずの――けれども、虚構のピアニストがしたためた――サインと相対する、なんともいえない感覚を味わった”と感想を送ってくれた。その返礼ということでもないだろうけれど、ぼくもまた、なんともいえない奇妙な感じで、「まいにちロシア語」の“巧くん”と相対している。……こうして虚構の縁取りを伸ばしながら、ビールしか飲まない男ふたりの、心地よい白い泡だらけのビールの夜は、どこまでも果てしなく更けてゆく。