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旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

アジアシリーズと西宮球場

h_major2008-12-12

 ふと思い立って、東京ドームへ出かけた。
 この時期(11月中旬)、プロ野球のアジアチャンピオンを決めるアジアシリーズが、二〇〇五年から毎年、行われていて、一昨年あたりから気になっていたのだ。日本代表の西武ライオンズと、台湾代表の統一ライオンズが午後二時から東京ドームで決勝戦をする、ということにふと気がつき、それが朝十時過ぎ、しかも雨の日曜日だったので、じゃあ、これから東京ドームに行こう、と思い立ったのだった。


 東京ドームができて、もう二十年が経った。
 一九八八年、できたばかりの東京ドームを取材したことがある。真新しい人工芝のグランドに降り、選手たちが使うロッカールームをのぞき、読売ジャイアンツの監督室もみせてもらった。当時、監督は王貞治で、フロリダ出身のウォーレン・クロマティ、台湾出身の呂明賜(ろ めいし/リュー ミンツー)、現監督の原辰徳が中軸を打っていた。監督室も、そしてロッカー・ルームも、意外に質素なつくりだった。そこは、やはり舞台裏の楽屋であって、グラウンドこそが野球選手の表舞台なんだ、と感じた。
 日本ではじめてのドーム球場だったから、野球場に天井がある、ということが、とにかく不思議でならず、ぼくは何度も巨大な白い天井をみあげた。しかも、その屋根には物理的な下支えがなく、ドームの内と外との間に人工的につくられた気圧の差によって天井は保持されている――つまり、屋根は浮いている――ということだった。ぼくは白い天井をみあげながら、女性広報スタッフに訊いた。
「浮いているだけだと、雨や風が激しければ影響を受けませんか?」
 彼女は笑いながら返事した。
「まったく大丈夫です」
 ぼくは訊いた。
「もし、雪が降りつづけたら?」
「大丈夫です」
 ぼくはしばらく考え込んで、また問いかけた。
「でも、巨きな隕石が落ちてきたら、破れるでしょう?」
 彼女はあきれた顔をして、ぼくをみかえした。
「隕石が落ちてきて、無事な建物がどこかにありますか? どんな頑丈なビルだって、きっと壊れます」
 彼女はむきになっていった。ぼくはうなずき、ドームのふわりと浮いた天井を巡る、おかしな問答は収束した。――その会話を、ぼくは東京ドームへと向かう中央線の列車のなかで憶いかえしていた。さいわい、あれから東京ドームの白い屋根に、隕石は落ちていない。


 ドームの白い天井を巡って、そんな会話を交わした一九八八年、韓国ではプロ野球のリーグができて、七年が経っていた。だが、中国はいうに及ばず、台湾でもプロ野球はまだなかった。台湾でプロ野球が生まれたのは、東京ドームができて二年後、一九九〇年である。今回、決勝戦に残った統一ライオンズは、台湾でプロ野球が誕生したとき、初めにでき、台湾プロ野球そのものの“開幕戦”を試合したチームのひとつだ。


 午後一時半ころ、水道橋駅に着き、東京ドームに向かうと、小雨がそぼ降るなか、正面ゲート前のチケット売り場には、さすがに長蛇の列ができていた。西武ライオンズのファンも当然いるが、特定のチームを応援するというより、野球ファンという感じのひとたちも大勢いる。列に並んでいると、“もうそろそろ、この辺で日本も負けても、いいんじゃないのか……”という声が聞こえてきた。野球ファンの声は案外、冷静なのだ。
 アジアシリーズは、これまでの三年間、すべて日本のチームが優勝している。それは野球をはじめた歴史、野球人口のひろがり、プロ・リーグの選手層からして、当然の結果といえるが、優勝以外では日本のメンツが立たない、というふうには、もはや野球ファンは考えていない気がする。スポーツだから、勝つこともあれば、負けることもある。ことに野球とは、そういう競技だ。
 阪神タイガース今岡誠が、“かりに阪神の一軍と二軍が十回試合をしたら、もちろん一軍がたくさん勝つだろうが、十試合、全勝するとは限らない。陸上競技や水泳と違って、野球とはそういう競技だ”と何かでコメントしていたが、そういうものだ。ほんとうの野球ファンがみたいのは、勝ち負けよりも、素晴らしいプレイである。


 ようやく列が進み、自由席のチケットを買う。西武ライオンズのライト側はすでに“立ち見”という張り紙がチケットブースにあり、統一ライオンズのレフト側ゲートへと向かう。国際試合だからか、飛行機に搭乗するときのように、金属探知機でものものしい身体チェックを受け、ドームに入ると、あの白い天井がみえてきた。


 統一というのは、台湾の食品製造と流通の一大企業グループの名で、台湾を旅したことがあれば、パッケージの片隅に“統一”というロゴが入ったジュースや食べものを、きっと飲んだり、食べたりしたことがあるはずだ。ライオンは“獅子”だから、チーム名の中国語表記は“統一獅”となる。
 アジアシリーズには、それぞれ国内にプロ野球リーグをもつ、日本、台湾、韓国、中国の代表四チームが出場しているが、今回は西武と統一にくわえて、中国の代表チームも天津ライオンズで、四チーム中、なんと三チームがライオンズである。ちなみに韓国代表はSKワイバーンズで、ワイバーンとは古来、紋章として使われてきた飛龍だ。――なので、今回のアジアシリーズは、“西武獅” “統一獅” “天津獅” “SK飛龍” の戦いということになる。

 日本のプロ野球チームに台湾や韓国の選手がいるように、日本人選手が台湾や韓国のリーグでも活躍している、ということは、プロ野球ファンはみんな知っている。だが、アジアで活躍しているのは、選手だけではない。日本人コーチもまたアジア各国のリーグで仕事をしている。あまり知られていないが、アジアシリーズで、東京ドームにやってきた四チームには、すべて日本人コーチがついている。
 統一ライオンズには、もう随分、長期間にわたって、日本人のコンディショニングコーチ、一色優がついている。天津ライオンズには、懐かしい大洋ホエールズのショート、松岡功祐がついている。SKワイバーンズには、日本でも輝かしいコーチ歴をもつ、福原峰夫、伊勢孝夫加藤初の三人がそれぞれ守備コーチ、打撃コーチ、投手コーチとして名を連ねる。
 もと阪急ブレーブス(後にオリックス)の選手であった福原はオリックス、中日、阪神で、近鉄バッファローズの選手であった伊藤はヤクルト、広島、近鉄で、コーチを務めたキャリアがある。加藤は東京ドームができた年、まだ読売ジャイアンツの現役ピッチャーであり、翌年に選手兼任コーチを務め、引退後は西武のコーチを務めている。SKワイバーンズの、日本のプロ野球からやってきた華々しいコーチ三人の陣容は、韓国国内でも一定の話題を集めたようだ。
 いずれにせよ、プロ野球チームも、またクラブチームである。国の代表チームといっても、サッカーの代表チームがそうであるように、こちらが思うより、国境を越えたコーチの交流は進んでいる。日本の野球で育ったコーチがすべての代表チームにいるということは、それだけ日本の野球が一目置かれているということの証左だろう。


 試合は統一ライオンズの攻撃ではじまった。西武ライオンズの先発ピッチャーは涌井秀章で、一番バッター潘武雄(パン ウーション)にいきなりレフト前へ、きれいに打ち返される。しかも、潘は二盗し、キャッチャーからの送球が無様に外野へこぼれる間に、潘はそのまま三塁へ、という西武にとっては最悪の、統一にとっては、もう試合をもらったような勢いの、試合開始だ。
 この回、結局、点は入らなかったが、統一は序盤戦、毎回のように見事なヒットで出塁し、完全に統一ペースで試合が進む。漢字表記なので、どうもわかりにくいが、統一はどうやら先発ピッチャーの艾瓦多(アルバラード)と三番打者のサード、布雷(ブリトー)、ふたりが外国人選手のようだ。
 統一の四番打者はファーストの高國慶(カオ クオチン)という選手で、外国人ではない。若そうな選手だが、ゆっくりと打席に立つだけで、風格があっていい。西武の四番打者、中村剛也にも風格は出てきたが、彼は今風のスポーツ選手である。まだ若い高が打席で漂わせるのは、もっと昔ながらの、四番打者としての風格だ。ぼくは打席に立つ高國慶をみていて、かつての阪急ブレーブスの四番打者、長池徳二を憶いだしていた。


 プロ野球というものを、はじめて野球場でみたのは――つまり、ぼくにとって、あの眩しい日の光と、夢のように広いグラウンドを行き交う一つの白い球と、グラウンドを取り巻く巨きな観客席での大人たちの奇妙な興奮に、生まれてはじめて出合い、そして、たっぷりと親しんだのは、阪急ブレーブス西宮球場だった。
 選手たちのユニフォームの胸に輝く“Braves"という赤いチーム名、ユニフォームの袖口と黒い帽子のつばの赤、何よりも球場の朱色がかったしゃれた赤い鉄骨の二階建て観覧席、……こうした風景は今も忘れがたく、心のなかにはっきりと浮かんでいる。小学生のぼくは「阪急ブレーブス子供会」に入っていた。この会のメンバーになると、西宮球場でのブレーブス主催試合を、全試合、入場無料で内野席でみることができた。だから、年間、相当な日数、西宮球場に通って、ブレーブスの野球をみた。
 監督が西本幸雄、まだパ・リーグにDH制が採用される前で、ピッチャー足立光宏あるいは山田久志、キャッチャー種茂雅之、ファースト加藤英司、セカンド住友平、サード森本潔 ショート大橋穣、レフト大熊忠義、センター福本豊、ライト長池徳二という頃である。覚えているひとは覚えているだろうけれど、ブレーブスブレーブスらしく仄かに輝きはじめた、初めの頃だ。打順は一番福本、二番大熊、三番加藤、四番長池……と、こうしてラインナップを憶いだして書いているだけでも、能力も個性も明らかな選手たちが集う、魅惑的なチームの野球を、そのホームグラウンドでみることができて、ほんとうによかったと思う。
 守備では、やはりセンター福本と、ショート大橋の、鮮やかな捕球と、矢のような送球の印象が今も強く残っている。あるとき、ブレーブス子供会のメンバーが、一選手のみに記念ボールにサインをしてもらえるファン・サービスがあり、ぼくは、長池か、それとも福本か……と真剣に悩んだ末、福本選手にサインをもらったことがあった。そのときの、球場前に特設されたテントでの、グラウンドを駆け回っているときとはちょっと勝手が違う、どこかむず痒そうに窮屈そうに座って、ボールにサインをしてくれた若き福本選手の顔を、ぼくは今もはっきりと覚えている。やがて監督が上田利治にかわると、セカンドでボビー・マルカーノ、キャッチャー中沢伸二、レフト簑田浩二といった選手が華やかなプレイをみせてくれた。風貌では口ヒゲとサングラスの森本、いつもにこやかで優しそうなベネズエラマルカーノの顔が忘れがたい。