旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

トゥルニャン、バリ島

h_major2009-02-19


 石をみかけることが、めっきり少なくなった。もちろん、山のなかや、河原にでかけてゆけば石はいくらでもあるだろう。だが、ほんの少し前までは、そんなところまで出向いてゆかなくとも、道端にごろごろと石は転がっていた。
 今の日本の町中には石はない。石がなくても困るひとはいないかもしれないが、ぼくには石が風景のなかから消え失せてしまったことが、日本で妖怪の居場所がなくなった、ひとつの大きな理由ではないかと思えてしまう。おばけや妖怪、精霊が棲んでいると噂される土地は、たいてい樹木が生い茂っていて、石がごろごろとしている。そんな石をじっとみつめてみれば、ただならぬ気配をたたえた、奇妙な石がなにくわぬ顔をして、必ずひとつ、ふたつは転がっている。


 いわゆる霊石をはじめて間近でしげしげとみつめたのは、トゥルニャンと呼ばれるバリ島先住者たちの村だった。
 バリ島に暮らす多くのバリ人は、バリ語を話し、バリ・ヒンドゥーと呼ばれる信仰をもっている。国としてはインドネシアであるが、標準インドネシア語は話せない年寄りもいる。インドネシアで多くのひとたちが信仰するイスラム教とも関係が薄い。このバリ・ヒンドゥーは、現在のインドのヒンドゥー教とも異なるもので、ジャワ島のマジャパヒト王国に起源がある。バリ人の祖先も、ジャワ島がイスラム化したときに逃れるようにして海を渡ってきたひとたちだ。
 現在、日本人が一般に抱くバリ島のイメージは、たいていこのバリ・ヒンドゥーの信仰と文化に由来する。そうしたバリ・ヒンドゥーが島に影響を及ぼす以前から、島に暮らしている、バリ・アガと呼ばれる先住者たちの村が、バリ島には北部を中心にして今もいくつかある。トゥルニャンは、そんな村のひとつである。
 霊石は村の入り口につくられた寺院の広場のかたすみにあった。寺院といっても、この村ではバリ・ヒンドゥーの様式ではなく、精霊信仰に近いかたちのものが残っている。たとえば死者の遺体は、バリ・ヒンドゥーではひとまず土葬して、正式な葬礼で火葬される。だが、トゥルニャンでは遺体は、村の居住地からは少し離れた、定められた埋葬の土地に、粗末な草囲いをしただけで放置され、腐るに任せる。
 こうした埋葬を「風葬」とあらわす術語がある。だが、そうしたことばに頼ると、本質的なことをみうしなってしまうおそれがある。チベットの「鳥葬」は、その奇妙なことばとともにひろく知られている。だが、遺体を鳥に食べさせることが重要なのではない。遺体をふたたび天にかえしてやる、という点が大切なのだ。中国語の「天葬」のほうがずっと本質をとらえている。風葬の「風」も誤解を招くことばだ。風には意味はない。トゥルニャンの村人からぼくが聞いた、彼ら自身のことばによれば、こういうことである。
「死んだ人間はね、あそこで寝ている間に、その魂とからだを森の精霊にもってかえってもらうんだよ。そうしないと、ひとは死んだことにはならない。かえるべきところへかえって、はじめてひとは死ぬ。……骨になったら、それはもうひとじゃない」
 大切なのは精霊なのだ。トゥルニャンでは、ひとが死ねば、そのからだと魂は、森の精霊のもとにかえされる。だから、「風葬」ではなく「精霊葬」というべきなのだ。


 トゥルニャンの霊石は苔むしていて、とても大きかった。その霊石は、精霊信仰を伝える寺院の高い塔のそばに横たわっていた。その霊石以外に、寺院の聖域には大きな石はない。だから、いわくのある石だろうということは、遠めにもすぐに察しがつく。それにしても間近でみつめれば、その石はただならぬ奇妙な風情をもっていた。この霊石についても、村のひとりの少年が話してくれた。
「今はいないみたいだ。でも、この石には降りてくるんだ。今まで何回もくりかえし、降りてきてる。そのうちにまたやってくる」
 ぼくはしばらく石のそばにたたずみ、その石を手でそっとさわった。信仰の様式化が進むにつれ、霊そのものは、……神さまは、といいかえてもいいが、ひとめにふれない、ちいさな奥まった部屋へと押し込められてしまう。やがては、親しくみつめたり、さわったりは、もっての他という事態になる。だが、こうした土地では、すべては親しみ深く、むきだしであり、息がかかりそうなところでじっとみつめて、直接、さわってみることができる。


 霊石をさわって、ぼくが感じたことを伝えるには、もう少しトゥルニャンという村の立地について、語らなければならないだろう。バリ島に暮らすひとたちは、島の東北部にそびえる、標高三一四二メートルのアグン山を聖なる山として信仰している。トゥルニャンの村があるのは、そのアグン山からさらに奥まった北にあたる土地で、バトゥール山という火山によってつくられた美しく広大なカルデラ湖であるバトゥール湖に面している。バトゥール山は標高一七一七メートルだが、さらに高い二千メートルを越える外輪山にバトゥール湖は抱かれている。森や湖といっても、その広大さや、奥深さはただごとではない。
 トゥルニャンがある湖畔は、海抜一〇三八メートルの地点である。島南部のビーチでは、誰もが日除けをしているときでも、とても涼しく、服装によっては寒い。デンパサールへとつづく道は、バトゥール湖のちょうどトゥルニャンの反対側にあるクディサンという船着き場にかろうじてつながっている。そこでちいさなボートのような船に乗り込み、半時間ほどかけて湖を渡って、ようやくトゥルニャンに着く。
 村のひとたちも街との行き来は、この船を使っている。そして船の出入りを停めれば、急峻な外輪山に抱かれたちいさな村は、外界との行き来が遮断される。そもそも村がつくられた場所が奇跡的なのである。
 今では村のひとたちも島の南に築かれた街との行き来をしながら暮らしている。けれども、トゥルニャンのひとたちは、もともと島の先住者である。バリ・ヒンドゥーに彩られた街が南に築かれるずっと以前から、この奇跡のような湖畔で、少なくとも一千年以上、彼らは暮らしつづけてきたのだ。
 どうしてそのような場所で、という問いに対しては、さまざまな答えがあるだろう。火山に抱かれた土地は、噴火時に危険ではあるが、平時は過ごしやすく、野菜などの農作物も育ちやすい。そのあたりが、合理的な思考による、模範回答だ。
 だが、ぼくはトゥルニャンの霊石をさわってみて、近代的な合理主義が目をつぶろうとすることを、はっきりと感じた。少年が教えてくれたとおり、この奇跡的な土地に、どこからか降りてきたものがいる……霊が、あるいは神が、降りてきた土地だったのだ、と。
 石は近代的なことばで語るならば、鉱物に過ぎない。それがどのようなかたちや大きさをしていても、どんなことをひとに感じさせたところで、その成分を科学的に分析でき、その石ができあがるまでの経緯についても、風や水ということばを使いながら説明することのできる、ただの鉱物質だ。そのようなことば使いのなかでは、霊が降りてきている、という霊石についての少年の説明は、うまく打ち解けない。それは“霊が降りてきている”ことを科学的に確認できないからである。それではトゥルニャンの少年がいうことは、あるいはぼくがトゥルニャンの石をさわって感じたことは、まったくの幻想なのだろうか。


……「奇妙な石」より