旋律的 林巧公式ブログ

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ラスト・ブラッド

ばれし者の恍惚と不安

ラスト・ブラッド (角川ホラー文庫)

ラスト・ブラッド (角川ホラー文庫)

 新たなプロレス団体の旗揚げに際して、リングのうえでマイクを手にし、「選ばれし者の恍惚と不安、ふたつ、我にあり」と語り、日本中をあっと驚かせたプロレスラーは前田日明である。この言葉は、太宰治の「葉」という短編小説――というか、印象的なフラグメントの連なり――の冒頭にエピグラムとして置かれたものだった。だが、もともと太宰の言葉ではなく、ポール・ヴェルレーヌの詩の一節で、「選ばれてあることの / 恍惚と不安と / 二つわれにあり」が、おそらくは太宰が引用した堀口大學の訳で、そのまま「葉」に置かれた言葉である。「葉」は、太宰の処女出版に収められた、冒頭の作品である。
 よく“処女作には作家のすべてがある”とか、“作家は処女作を越えられない”とか、“処女作に向けて作家は成熟する”などといわれる。太宰の場合、「葉」が収められた初めての本のタイトルは――そのような題名の短編は収められておらず、かつ死ぬまで書かなかったにもかかわらず――「晩年」であり、件のヴェルレーヌの詩につづく、「葉」の小説上の書き出しは「死のうと思っていた」である。
 ヴェルレーヌの詩は「叡智」(堀口大學の訳では「知恵」)という詩集に収められていたものの一節で、キリスト教への信仰を詩にしたものである。よく知られているように、自堕落な暮らしを送り、破滅的な行為で収監もされたヴェルレーヌの、ぎりぎりのところでの信仰告白の詩集だ。だから、「選ばれてあること」とは、もちろん、神と自分自身との、絶対的な関係を示している。太宰治の場合は、津軽の旧家に生まれたこととも、文学者として小説を書きはじめたこととも、とれる。前田日明の場合は、それまで所属していた新日本プロレスという団体から、UWFという新たな競技団体へ、つまり、新しい競技者へと「選ばれし者」ということになる。
 そして、「ラスト・ブラッド」の、外見上は十六歳の主人公、サヤの場合、それはヴァンパイア(吸血鬼)として「選ばれてあること」となる。別にサヤは、そんなことを、声高らかに語ってはいない。だが、この小説を書いていて、どうもこのヴェルレーヌの詩が浮かんできた。小説中に出てくるが、ヴァンパイアという存在は、どこかルシファーやフランケンシュタインの怪物に通じるところがあり、だからこそ、自堕落な詩人が書いたキリスト教への信仰告白の詩を、その身のうえで反響させるのかもしれない。「ラスト・ブラッド」は、押井守の企画協力で、北久保弘之が監督した日本のフルデジタル・アニメ「BLOOD THE LAST VAMPIRE」(二〇〇〇)を実写化したもので、香港とフランスの共同製作で、フランス人のクリス・ナオンが監督した映画であり、この小説は、その映画をもとにしたノヴェライズ作品である。