旋律的 林巧公式ブログ

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超弦領域 年刊日本SF傑作選

文芸批評としてのアンソロジー

超弦領域 年刊日本SF傑作選 (創元SF文庫)

超弦領域 年刊日本SF傑作選 (創元SF文庫)

 大森望日下三蔵のふたりが腕利きの選者となった年度別のSFアンソロジーの刊行が、東京創元社の創元SF文庫で、2007年版よりはじまっている。その第二巻目である2008年版「年刊日本SF傑作選 超弦領域」に「エイミーの敗北」が採られた。この短編小説は、井上雅彦の監修によって、光文社文庫から刊行されている異形コレクション・シリーズの一冊、「未来妖怪」のために書いたものである。「未来妖怪」は、SFと妖怪があるいは遠縁の“親戚”であるかもしれない、と感じさせる愉快なアンソロジーだった。
 SFの年度別アンソロジーは、かつて筒井康隆の選によって、「日本SFベスト集成」が、徳間書店から刊行されている。刊行当時、夢中になって読み耽ったものだ。その一冊、'71年版が今も手元にある。作品が登場するのは、半村良眉村卓星新一小松左京光瀬龍広瀬正河野典生梶尾真治、高齋正、荒巻義雄らで、漫画も二編選ばれ、藤子不二雄と、永井豪である。出たばかりの2008年版「超弦領域」を読み、また1971年版「日本SFベスト集成」を読み返すと、良質なアンソロジーは読みものとして愉しめることはいうまでもなく、文芸批評としても読めることに気づく。すなわち、文芸そのものへの、さまざまなメソッドとパースペクティヴを、選者が戦略的に張り巡らせることで、つまらない批評の文章よりも、よほど本質的に作家をやる気にさせる、という効果がある。
 もっとも、筒井康隆はSFという範疇を離れ、純粋な文芸アンソロジーの編者としても、まったく別格の存在だというべきだろう。ぼくがまだ幼いころ、短編小説の本質的な読者になったのは、筒井康隆自身が書いた短編に加えて、彼が編んだアンソロジーを通してだった。筒井康隆が編み、立風書房から刊行された「異形の白昼」(サブタイトルが“現代恐怖小説集”)、「12のアップルパイ」(“ユーモア小説フェスティバル”)という二冊のアンソロジーは、今に至るまでぼくの最も近しい場所にある短編小説集である。まだアンソロジーという言葉も、形式も、よくわからないままに、ぼくはただ愉快な読みものとして、しかも数多くの作家のとびきりの作品を読める短編集として、これらの本を貪り読んだ。今も書棚にある二冊の本を手に取って、表紙を眺めるだけで、まだ十代に入ったばかりだった、ぼく自身の、読者としての熱気がよみがえる。――結果として、ぼくはこうして、ものを書く暮らしをするようになったのだ。
 それから後、ぼくは読者としてだけではなく、小説の書き手としてアンソロジーを読むようになった。だが、この二冊に匹敵するアンソロジーというのは、あと二冊しか出逢っていない。ともに“Bright Tales' Anthology”という光文社のおなじシリーズから出た本だが、池田満寿夫が編んだ「わが驚きのヴァリエテ」、山田詠美が編んだ「せつない話」である。
 その“場所”に辿り着くまでは、戦略や、技術が、当然ながら、必要になってくるだろう。だが、最後には、もっと本質的なこと――永遠へとつづく明るい見晴らし――だけが残る。その“場所”に足を踏み込んで、読者は短編小説を読むことに夢中になり、引いては文芸そのものに夢中になり、作家はさらに新しい光を求めて書くことに夢中になる。アンソロジーというのは、そうした明るい見晴らしをもった“場所”ではなかろうか。