旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

“旅を書くこと”を語る

h_major2010-02-27

旅を書くことについて、管啓次郎氏と対談します。三月九日午後七時から、表参道の青山ブックセンター本店にて。


 管さんとはじめて会ったのは、二〇〇〇年の、確か、何かが道をやってくる(レイ・ブラッドベリ)……いや、誰かさんがみつけた(サトウ・ハチロー)……いやいや、もうすぐに秋がやってきそうな夏の終り、講談社文庫のぼくの本の担当者である編集者と三人で、新宿駅東口の喫茶店で待ち合わせ、夕食をともにし、そして別れがたく、“DUG”の地階で、心愉しくお酒を飲んだ。――と、こうやって書いているだけで、そのときの情景を昨日の出来事のように憶いだし、出会いの情景がいまにつながってゆくことで、ぼくと管さんとの旅がいまもつづいていることを再確認し、それはとりも直さず、“旅を書くこと”について、直截的につながってゆくのだけれど――その初対面のとき、管さんは、どうしたわけか、角川書店「怪」という雑誌を手にしていて、ぼくにみせた。管さんは「ここに来る途中、入った書店で、たまたまみつけて……」と、居場所を訊かれもしないうちに、アリバイを語るかのようにいった。水木しげる氏を親分とした妖怪雑誌「怪」は、そもそもの立ち上げからぼくは深くかかわっていて、そのころ、中国やアジアの妖怪が出てくる短編小説を連載しており、表紙にはぼくの名前が刷り込まれていた。
 こうした出来事は近代合理主義の精神でもって、計算可能なスタイルでつじつまを合わせて、解釈することもできなくはないが、わかりやすくひとことでいえば、シンクロニシティカール・ユング)である。そんな馬鹿な、という向きに、ひとつの事実を示そう。管さんは「Synchronicity――The Bridge between matter and mind」(デヴィット・ピート)の翻訳者でもある。そんな阿呆な、という向きにさらなる証拠を示そう。その管さんが訳した「シンクロニシティ」(1989 朝日出版社)という本を、ぼくは水木しげる本人から直接、手渡しでもらっていたのだ。「あんた、これ、読みなさい」と。
 しばらく後から聞いた話だけれども、管さんはその本の翻訳の依頼があったときには、それがいわゆるニューエイジものの一冊であったことから、内心、躊躇があったらしい。だが、水木しげるは、管さんが訳した「シンクロニシティ」がいたく気に入って、何十冊と買い込んで、これはという人に「読みなさい」と、あたかも幼子に甘い飴玉でもあげるかのように、プレゼントしていた。水木しげるという人は、自分がこの上なく気に入った本については、そういうことをする人なのだ。自分が書いた本なら、いくらでも人にあげられる。そんなことなら、誰だってできる。だが、何の義理もかかわりもない、他人の本を、読んで気に入ったから、という理由だけで、たくさん買って、目の前の人にあげる、というのは、できそうでいて、常人にはなかなかできることではない。
 その話をすると、管さんはとても嬉しそうだった。にわかに表情が明るくなって、内心、苦慮した仕事が、報われたような顔をした。――その管さんとぼくとの初対面の、新宿駅東口の喫茶店で、管さんはたまたま手に入れた「怪」を持ち、ぼくは管さんが訳した「シンクロニシティ」を、しばらく前に水木しげるからもらっている。――これを、シンクロニシティといわずして、何と呼ぶのか。
 そもそも、どうして管さんと新宿で待ち合わせることになったのか。それは、ぼくの二冊目の、講談社文庫のアジアの旅の本の解説を、管さんが引き受けてくれたからだった。では、どうして、そのとき初対面の、管さんに解説を依頼することになったのか。それは、管さんが、おなじ講談社文庫の、ぼくの最初の旅の本について、とても好意的な書評を、インターネット上に表してくれたからだった。「コヨーテ 歩き読み」という彼の書評をみつけて、ぼくは、この人に解説をお願いしたい、と編集者に伝えたのだ。
 だから、ぼくと管さんとの、そもそもの出会い頭は、喫茶店でも、小さい秋でも、ハロウィーンでもなく、デジタル・コンテンツであり、管さんがいま、デジタル・コンテンツ系教授というのも合点がゆく。合点がゆくけれども、そのとき、もうすぐに秋がやってきそうな夏の終りの、新宿の“DUG”のカウンターでは、ふたりは割と純粋に“もの書き”同士であったため、その新宿の奇妙なシンクロニシティをぼくは引きずっていて、ぼくにとっては、管さんはやっぱり、あのJAZZが流れる地下のカウンターで、バンドの話に興じる、色鮮やかなジャンパー姿のもの書きなのだ。
 で、そう、旅の話――旅を書くことについて――こうやって旅のことを書こうとすると、出会いの物語となり、出会いの情景は終りのない、旅の涯ての風景へとつながってゆく。「コロンブスの犬」(管啓次郎)から始まって、結局、管さんは、たくさんの翻訳と、論文以外は、旅のことしか書いていないんじゃないかなと思う。そのことを言葉に出して、あれこれと語りたい。


ぼくと管さんの出会いのデジタル・コンテンツ(当時のまま!)

http://www.cafecreole.net/library/coyotewalk11.html


管さんのブログはこちら。

http://monpaysnatal.blogspot.com/


管さんの詩の翻訳ブログ。
ぼくはときおり真夜中にビールを飲みながら、じっくり味わう。
2010年2月26日は、前記ブログと連動していて面白い。これもシンクロニシティ

http://jasminlight.blogspot.com/