旋律的 林巧公式ブログ

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上海を想うチャイナタウン

h_major2010-09-09

 上海にいたわけではない。ほとんど赤道に近い、蒸し暑く、ちいさな街で、ぼくは一か月ほどを過ごしていた。そこは中国大陸から、もう忘れられたような、旧いチャイナタウンだった。その街の知り合いから、三日後に雅集(ヤーチー)があるから来ないか、という誘いがあって、しかも拍板を叩かないかといわれ、ひさしぶりに上海を憶いだしたのだった。拍板とは二枚の細長い板を、ただ一本の紐で結び合わせただけの打楽器である。唐代にはすでにつくられていた。その結び目となる紐を掌にひっかけ、左手の揺れだけでかちんと打ち鳴らす。
                    

 雅集とは、絲竹(スーチュー)のセッションを行なうパーティのことである。絲竹の「絲」は弦楽器、「竹」は管楽器の意で、すなわち二胡、琵琶、揚琴、月琴、三弦、さらには曲笛、笙、洞簫などの中国伝統楽器を使った、純粋器楽アンサンブルのことを指す。
 絲竹は江南絲竹とも呼ばれ、明清代のころから、揚子江の南にひろがる肥沃な江南地方で愉しまれてきた伝統的な音楽である。それが上海という都市に流れ込み、数々の旋律が熟すチャンスが与えられた。
 二十世紀初頭になって上海では絲竹を愉しむ結社があちこちにつくられ、一九三〇年代にひとつのピークに達する。その時代、上海に築かれた租界では、外国人たちが享楽的な暮らしに明け暮れていた。一方で、中国人たちの街角には、絲竹の結社が競いあうようにつくられていた。あちらこちらで密やかに雅集が開かれ、そこで卓を囲んだ楽士たちの手によって、中国大陸に固有の旋律が、甘酸っぱく熟されていた。
 音楽は熟される。ことに絲竹には加花(チアホア)と呼ばれる、特徴的な即興演奏の要素があった。「花」とは、模様やデザインの意で、「加花」とはオリジナルの旋律に各楽器の奏者が楽興に応じ、あるいは合奏する奏者の出方に応じて、新たな趣向や装飾を添えるという絲竹の音楽用語である。協奏曲のカデンツァや、ジャズのアドリブに近い。そのような音楽の愉しみ方が、上海の絲竹ではされてきた。
 現在もなお上海には絲竹を愉しむ結社があり、雅集も開かれている。観光名所として有名な豫園に、湖心亭という茶館があり、そこは絲竹を愉しむ楽士たちが集う場として、ひととき、ひろく知られてきた。
 多種類の、しかも共鳴原理の異なる楽器を使って、即興演奏がある純粋器楽合奏という形式は、音楽的にみるならば、とても高度な抽象概念を含みもっている。世界中どこだって、ひとはうたを歌い、太鼓を叩き、笛を吹く。だが、このような純粋器楽合奏が伝統的に愉しまれてきた土地は多くはない。ジャズのセッションは、もちろん、そのような音楽だ。クラシックの室内楽や、管弦楽も、演奏者より作曲者の地位が高過ぎるきらいが少しあるが、またそうである。上海の絲竹も、それらの音楽と肩を並べる仲間なのだ。
 ジャズはシカゴで、そしてニューヨークで花開いた。クラシックはウィーンで、その実を熟した。おなじように、絲竹は上海で育まれて、その果実を実らせたのである。

                  
 安宿の固いべッドに寝そべりながら、ぼくは上海のちいさな伝統楽器店で美しい拍板をみつけたときの情景を憶いだしていた。家賃が安いからだろう、薄汚く古ぼけたビルの三階の奥まったところに、その店はあって、紹介者がなければまず辿り着けない店だった。しかし、楽器は逸品ぞろいだった。伝統楽器でも、上海でしか手に入らないものを、たくさん置いていた。
 拍板は複数の板を紐で結びつけただけのシンプルなつくりをしている。だが、その大きさも、重さも、かたちすらも楽器ごとに違う。拍板は絲竹の専用楽器ではなく、あらゆる中国伝統音楽で使われてきた。広い中国のなかでは地方ごとに、拍板の特徴も異なる。紫檀マホガニーでつくられ、長方形をしたものが中心だが、牛の舌のかたちをしていることから牛舌板と呼ばれる板や、竹でつくられた蓮花板と呼ばれる板もある。沖縄の四つ竹も、中国の拍板が伝わって、その姿をかえたものだ。
 ぼくは香港と上海で手に入れた拍板を一組ずつもっていた。香港で買った板は、広東音楽のための拍板である。上海の楽器店では、おなじ伝統楽器の板でも絲竹のためにつくられた楽器が並んでおり、ぼくは嬉しくなってあれこれとみてまわって、その赤みがかって、仄かに重く感じられる、絲竹用の美しい拍板を買ったのだった。
 雅集では、すでに名を挙げた中国伝統楽器を抱えた奏者たちが、ひとつの卓をぐるりと囲み、お互いの顔がよくみえるように座る。その座り方から察せられるように、雅集は演奏会ではない。音楽を客に聞かせるための集いではなく、奏者自身が旋律を愉しむための集いだ。
 だから、雅集は近代的なコンサートという概念にはそぐわない。ジャズも、その出発点では雅集とおなじだった。室内楽も、かつてはそうだった。旋律はそれを愉しもうとする奏者を必要とするが、必ずしも聴衆を必要とはしない。


 音楽のはじまりは拍板である。その板が拍子を取る響きが、絲竹のセッションの口火を切る。古くから伝えられる旋律をはじめに演奏し、やがてそれぞれの奏者が旋律に加花を施してゆく。
 加花には、拍子を倍にしたり、半分にしたり、音階のなかで一定の決まった音だけを弾かなかったり、あるいはひとつ飛ばしに旋律の音を弾いたり、リズムパターンを違ったかたちに崩したりと、さまざまな手法がある。一定の約束事を外さなければ、どのように弾いてもいいともいえるが、むろん他の奏者たちに受け容れられ、旋律を熟するものでなくてはならない。ジャズの演奏家がそれぞれの演奏スタイルをもつように、熟達した絲竹の奏者もまたそれぞれ固有の風格をもつ。
 遥かな昔、鄙びた地で歌われていた、ひとつのうたであった旋律が、そんな奏者たちが集う、上海での雅集のなかで徐々に熟し、遂には中国を代表する名曲となったものがいくつもある。また、ひとつの旋律が、セッションを通して別の風貌をもった旋律に変容し、そこからまたさらにひとつの新たな旋律が顔をみせることも多々ある。「老六板(ラオリウパン )」という古い旋律は、雅集での加花によって、「花六板(ホアリウパン )」や、「中花六板(チョンホアリウパン )」という新しい旋律を生み落とし、それぞれがふたたび雅集のなかで、さらなる新たな旋律の源となっている。
 だから、絲竹の曲目に、作曲者名のクレジットはない。ひとつの曲目の名前すら、ひとつではない。それぞれの旋律は容易に溶け合い、ひとつの旋律の結び目は瞬く間に解かれる。その旋律を愉しんだ楽士ひとりひとりが、奏者であるとともに、名もなき作曲者でもあった。そうやって愉しんだ旋律に、さまざまな名をつけた。そうした旋律は、もし上海という都市がなければ……そこで密やかに雅集が催されなければ……その響きを世にとどめることができなかっただろう。
 雅集ということばを聞いても、あるいは絲竹ということばを耳にしても、ぴんとこないひとたちは、中国人ばかりが暮らす街の、中国人のなかにもいくらでもいる。その一方で、今では上海のみならず、世界各地の大都市で密やかに雅集が開かれている。絲竹を愉しもうという楽士たちは、北京にも、台北にも、香港にも、クアラルンプールにも、ロンドンにも、そして東京にもいる。
  
                
 ぼくは上海で買った、赤みががった美しい拍板を手にして、かつてあちこちの雅集にでかけてゆき、その板を打ち鳴らしたことがあった。ときには二胡を弾き、あるいは揚琴を叩いたこともある。
 雅集にでかけると、ぼくは演奏のさなかに、その熟した旋律が上海というひとつの都市を、まるごと呑み込んでいる、と強く感じた。絲竹の旋律のなかには、すでに喪われた上海のひところが色濃く、はっきりと艶やかに浮かんでいる。雅集に楽器を携えて足を運ぶことは、中国古来の旋律の熟成に手を貸すことでもあり、あのころから今につづく、上海に足を向けることでもある。


 このチャイナタウンの旧い知り合いは、ぼくより年齢は二回りもうえの琵琶の名手で、かつて彼の家に招かれて、ぼくが二胡を弾き、ふたりだけで絲竹を愉しんだことがあった。もちろん、ぼくが拍板を打ったり、揚琴を叩くことを知って、彼は誘ってきたのだ。
 だから、雅集への誘いは、とても嬉しかった。
 だが、ぼくは躊躇していた。拍板には二胡や琵琶のように旋律をうけもつ楽器にある華やかさはないものの、音楽全体の勢いを決める、きわめて重要な楽器である。絲竹では、鼓手と呼ばれる打楽器奏者が、左手で拍板、右手で板鼓を同時にうけもって打つ。板鼓は木をくりぬいてつくった小匣(こばこ)のようなかたちの打楽器で、木製のスティックを打ちおろして、かつんと鳴らす。
 演奏では拍板は強拍、板鼓は弱拍のリズムに使われる。演奏技術的には板鼓はさほどでもない。板鼓はあらゆる太鼓類とおなじで、打ちおろす手の動きがダイレクトにリズムにつながっている。
 けれども、拍板は難しい。拍板は一枚だけを左手でそっと握り、あとは手の揺れによって、紐から楽器に振動を伝え、宙ぶらりんになったもう一枚の板を、手にもった板に、かちんとぶつける。ぴたりと、一瞬の狂いもないタイミングで、しかも楽器がその身に備えた最もよい音で、二枚の板をかちりと響かせることは、習いはじめのうちは、まったくもって至難の技である。経験があっても、使いなれない板では難しい。
 ぼくが雅集への参加を躊躇しているのは、この点だった。大きさも重さもかたちもわからない拍板を手にして、すぐに颯爽と打てればよいが、その自信はまったくなかった。そうなると、音楽全体をぶち壊しかねない。東京に置いてある、使いなれた上海の美しい拍板を、ぼくは想った。あの楽器が、今ここにあれば、あの楽器をもってきていれば……だが、むろん旅先の安宿にはあるはずもない。
                   

 ドアが叩かれた。宿の主人が大きな紙封筒をもって突っ立っている。ぼくが出かけているときに預けられた、ことづけものだという。
 ぼくは驚きながら、主人にチップを渡して、その封筒を受け取った。封筒の裏には、知り合いの名が達筆な字で書いてあった。なかから出てきたものをみて、ぼくはあっと驚いた。ぼくはそれをじっとみつめ、手にとって、裏がえした。そこには忘れようもない、楽器工厰の名が、ちいさく刻まれていた。
 上海の拍板だった。だが、その赤みはもはや茶褐色に近い。ぼくが東京にもっている楽器よりも遥かに古く、年季が入っている。いったい、誰の楽器なのだろうか。とにもかくにも、雅集に参加する、このちいさなチャイナタウンの誰かが上海の拍板をもっていて、大切に使ってきたのだ。これまで、この板は何千拍、何万拍、何十万拍のリズムを打ち鳴らしたことだろう。赤道に近い、こんな街にまで上海の拍板は運ばれて、叩かれていたのだ。ぼくはその拍板をそっと左手で握り、その紐を掌にかけてみた。


   ***
                   

 楽士たちがぐるりと美しい木彫の卓を取り巻いて座っている。
 しんとした静寂が卓を支配している。街を吹き抜ける風までもがとまってしまったようだ。楽士たちはひとり残らず、それぞれの楽器を抱え、息をつめて、鼓手の身動きをじっとみつめている。
 鼓手は板鼓をちらりとみつめると、右手の竹のスティックを板鼓のうえに打ちおろす。かつん、かつん、と板鼓がふたつ鳴り、静寂が破られる。そして鼓手の左手が揺れ、拍板が打ち鳴らされた。


 それを合図に音楽がはじまった。
 鼓手をみつめながら、一斉に楽士たちはおのおのが手にした楽器……二胡、琵琶、揚琴、月琴、三弦、曲笛、笙、洞簫……を、鳴らしはじめる。強拍を伝える拍板のうえに、それらの楽器の響きが共鳴する。それぞれの絲と竹、弦楽器と管楽器が、調子をあわせるような短い序奏の後、いよいよ旋律が動きだす。


 やがて加花へと突き進んでゆく。
 二胡は、ヴァイオリンでいえば真ん中の二本の弦を、弓の裏表を使って奏でる。その弓は竹でつくられ、ヴァイオリンの弓よりも七、八センチは長い。揚琴には鍵盤がひとつもなく、精密なハンマーも備えてはいないが、しなるバチで弦をダイレクトに打つ、いにしえのピアノである。拍板と板鼓は千年の昔とかわらず、木が鳴り響く、かち、かちという音で、軽やかにリズムを刻みつづける。


 旋律はうねるように、ひとつの卓のうえで響きわたる。ときおり緩み、また締まり、いきなり走り、ふと立ち惑う。それは気紛れな波や風の動きを彷彿とし、いつかどこかで聞いた懐かしい物語を耳にするようでもあり、また変幻しつづける伝説の妖怪の立ち居振る舞いにも似て、永い眠りから息を吹きかえした龍の身動きのようでもある。


 はっきりとしていることが、ひとつある。その木彫の美しい卓が上海にはなく、台北のマンションの一室にあっても、香港の邸宅の調度のひとつであったとしても、ロンドンの石づくりの建物のなかに据えられていたとしても、あるいは赤道に近い、ちいさな旧いチャイナタウンの旧家の広間に置かれていても、……その瞬間、卓のうえには、かつてあった、そして今もなおここにある、上海が色濃くあらわれている。


……「幻想文学」vol.62 より