旋律的 林巧公式ブログ

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小松左京が鳴らす“鐘”の響き

h_major2011-10-04

 この夏、発刊したばかりの「アレ!( allez ! )」というデジタル文芸誌が、七月二十六日に逝去した小松左京の追悼特集を組み、短編小説「熱帯雨林が熟すとき」を寄稿した。この数百年もの間、紙を糸で綴じた頁を、ただひとつの住処としてきた文芸作品と、デジタルとの結びつきは、読者にとっても、作家にとっても、編集者にとっても、まだ紆余曲折も愛憎半ばするところもあるだろう。だが、その噛み合わせの理非はともかく、我々がもう後には引きかえせない曲がり角を過ぎてしまったことは明らかだ。
 特集には、堀晃瀬名秀明津原泰水北野勇作、小林泰三、佐藤哲也田中哲弥……らの、書き下ろし短編小説が掲載され、いずれも小松左京追悼の主旨に照らして読みごたえがある。また特集とは別枠だが、曽野綾子の書き下ろし掌編小説が二編、掲載されていて、こちらも三月十一日の地震後に書かれた小説として、ジャーナリズムの偽善と萎縮を覆す、野心的なものだ。事ここに至ってというべきか、デジタルの世界では遥かに先行するケータイ、メール発祥の「文芸」を迎え撃つことができる、但し書きなしの文芸作品を載せた文芸誌らしいデジタル文芸誌がようやく出てきた。

 小松左京については、書き下ろした短編が、ぼくの彼への思いそのものだ。小松左京はあまりにも多彩なジャンルで仕事を成したため、かえってみえにくくなっていると思うことを、二つだけ挙げて、作家を追悼したい。一つは、一九六一(昭和三十六)年、はじめて「小松左京」のペンネームで書いた「地には平和を」から、その文体、そして、虚構としての小説づくりの手法が、もうすでに我々がよく知っている小松左京そのものであり、作家としてはじめから完成していた、という事実だ。「地には平和を」の、どこでも半頁読めば、それが小松左京の文章であり、小説であるということが、彼の本を多く読んできた読者にはわかる。後につづく彼の作品を脇に置いて、どちらが先に書かれたのか、と、かりに想像してみると、ものの見事に判断がつかない。どれもこれも、まったくおなじように“新しい”からだ。
 日本が激動した昭和三十年代(「地には平和を」「復活の日」「日本アパッチ族」)、昭和四十年代(「エスパイ」「果しなき流れの果に」「継ぐのは誰か?」「日本沈没」)、昭和五十年代(「ゴルディアスの結び目」「さよならジュピター」)、昭和六十年代(「首都喪失」「虚無回廊」)……と、それぞれの本の刊行時には、その時代を代表する文芸作品として、またベストセラーとして世に出ながら、二十一世紀の今、読み返してみれば、どの作品も時代の拘束から逃れて、たった今、作家が書き終えたように“新しい”ことに驚かされる。これは作家としての根本的な才能である。
 たとえば太宰治は、この才能に恵まれていた。だから、夏休みごとに「人間失格」を手にする高校一年生がいる。作家の盟友として、ひとつの時代をともに築いてきた星新一筒井康隆も、この才能をもっている。だから、百年後、「復活の日」や「ゴルディアスの結び目」の頁を捲る、まだみぬ新しい読者が、この先、きっと、この世に生まれてくるはずだ。
 もう一つ、時間と空間の果てしないひろがり、そのなかで居場所が制約された存在としての人類について、作家は本気で向き合っていた。誰だって、自分自身の限りある人生とは、本気で向き合う。だが、おなじ真剣さでもって、限りある人類の存在と向き合う者など、まずいない。
 けれども、作家はそうだった。そのパースペクティヴの尋常ではない奥行きが、あるいは彼の作品が常に“新しい”ことの、彼ならではの、ひとつの源泉であったのかもしれない。我々は作家の本が愉しいから読むのであって、何も限りある存在としての人類のひとりとして、読むわけでは、もちろんない。だが、読んでいるうちに、かつてどこでも聴いたことのない、にもかかわらず、どこか懐かしく、奥深い響きをもった“鐘”がふいに鳴り渡り、作家から“そのこと”を知らされるのだ。