旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

フィレンツェ

 懐かしいフィレンツェに着く。アメリゴ・ヴェスプッチ空港を出たタクシーが十数分ほどで旧市街地に入ってゆくと、当然のことだが、15年前と何も変わらぬ、街の景観が目に入り、心からほっとする。チャイコフスキーは、ひとときフィレンツェに暮らし、「フィレンツェの思い出」という激しく美しい弦楽六重奏曲を書いている。タクシーを降りるとき、その高揚した主題が心によみがえる。フィレンツェを知らないとき、この弦楽六重奏曲の高揚が、ぼくには理解できなかった。今ではわかる。そんなふうに、ひとの心を俄に高揚させるものが、フィレンツェには確実にある。
 宿は、その一画の南にウッフィツィ美術館をも擁する、シニョリーア広場のすぐ北の、旧市街地中心地にあるアパート。グラウンド・レヴェルには立派なショップが入っている、その店と店との間の大きく古い木製扉を鍵で開け、透視図法の手法で各階の高さが不均衡に設計された(遠近感を強調するため、路面フロアは天井が高く、上にゆくほど低く設計されている)古い5階建ての建物の4階(欧州式にいえば3階)の部屋。
 アパートの経営者によると、少なくとも500年前にはあった建物で、当然ながら、エレベータなどはなく、毎回、石造りの狭い階段を四階まで上らなければならないことが難といえば難だ。だが、4階(3階)といえども、天井の高さも、部屋の造りも、現代建築の狭いホテルの比ではなく、近現代の設計では、まず考えられない高さと広さを兼ね備えた、素晴らしい空間だ。さらには、立派なキッチンがあり、食器も、調理器具も、エスプレッソ・ポットまでもが大小2種類も揃っていて、コーヒー・カップのみならず、エスプレッソ・カップまでも揃えられていた。
 旅で悔しいことのひとつは、その街の活気ある市場に出かけて、その土地ならではの肉や野菜、珍しい食材をみつけても、ホテル住まいには手の出しようがなかったことだが、キッチンさえあれば、市場で目についたものを、好きなだけ買って、料理し、好きなように食べることができる。それが何よりも嬉しい。