旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

カンパニーレ・ディ・ジョット

 メルカート・チェントラーレとアパート近くのスーパーMETAで買った食材で朝ご飯。トスカーナの塩なしパンに、プロシュート、トスカーナ風サラミ、スモーク・チーズに、トマト、イタリア野菜とツナとすりおろしたトスカーナ風ペコリーノ・チーズのサラダ、シチリアのブラッド・オレンジ、イタリア青りんごのジュース。
 朝食を終えると、15年ぶりのシニョリーア広場で、この広場のかわらぬ空気を味わう。そして、ドゥオーモ隣のCampanile di Giotto(カンパニーレ・ディ・ジョット / Campanileは「鐘突き塔」、比喩的に「郷土、故郷」の意もある。 Giottoは、この塔の設計、製作に携わった画家。すなわち、「ジョットの鐘塔」)へ。


 どうして、ジョットを好きなったのか、憶いかえしてみると、三つの縁があった。一つめは、確か、中学校の英語の教科書だったと憶うが、そのリーダーのちいさなお話のなかに、イタリア人のジョットが登場し、真円(コンパスで描いたような正確な円)を、彼がいつでもフリーハンドで描けたが故に、画家として見いだされたという逸話があった。ジョットの名を知ったのは、それが生まれて初めてで、なぜか心に残った。二つめは、大学の教養課程の選択科目で取った美学の教師が、たまたまジョットの専門家だった。彼からジョットの多くを学び、また紹介してもらった画集を買って、ジョットに親しんだ。三つめは、間接的だが、子供のころ、絵を描くことが好きで、ある時期、透視図法に関心を抱き、画学生でもないのに透視図法(パースペクティヴ)の専門書を読んだ時期があった。透視図法はルネサンスの発明品だが、ジョットはそれ以前の、いあゆる西洋的なパースペクティヴがない絵画技法と、パースペクティヴが確立された絵画技法をつなぐ、大きなリングのような芸術家で、ジョットの絵をじっと眺め、親しんでゆくと、その先にパースペクティヴが透けてみえるようなところがあった。つまり、子供のころの透視図法への関心が、ジョットへの関心につながったのだ。


 シニョリーア広場そばのアパートにいると、教会の鐘の音が時を告げ、鐘の音が夜を導き、鐘の音とともに朝を迎える。打ち鳴らされる、その一つの鐘が、紛れもなく、カンパニーレ・ディ・ジョットの響きだと思うだけで、ぼくはとても幸せな気持ちになる。
 塔の内側には、石造りの階段、さらには螺旋階段が延々とつづく。その階段を一歩一歩、踏みしめながら、途上で切り取られた窓からは、サンタ・マリア・デル・フィオーレ(花の聖母教会)のドゥオーモがみえる。そして、塔の頂きに達すると、ドゥオーモを眼下にみおろす。フィレンツェのどの建築物よりも巨大なドゥオーモをみおろすことのできる場所は、カンパニーレ・ディ・ジョットだけだ。