旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

ベアト・アンジェリコ

 朝食は、焼きたてのサウシッチャに、ブレザーオラ、サラミ・ミラノ(Salame Milano / ミラノ風サラミ。最も一般的で、イタリアのみならず、世界各地に普及している)、イタリア野菜とトスカーナ風ペコリーノ・チーズのサラダに、パーネ・トスカーノ(pane toscano / トスカーナ州の塩なしパン)、パーネ・カラザウ(pane carasau / コルシカ島の南に位置し、シチリア島に次いで大きな、イタリア第二の島であるサルデーニャ島のパン)。このサルデーニャのパンは、細長い半円形で、からりとかたく焼き上げ、長期保存がきく。通称、カルタ・ダ・ムジカ(carta da musica / 五線紙)とも呼ばれる。一説によると、紙のように薄く、ぱりぱりと音をたてなくては、食べられないからだ、という。昔の羊飼いは、このかたいパンに好みのおかずを載せて食べたらしい。サラミ・ミラノを載せて、ぱりぱりと食べると、なるほどパニーノとはまた違った食感で、おいしく、楽しい。
 パスクアのスコッピオ・デル・カッロで熱狂したばかりのサンタ・マリア・デル・フィオーレの前を抜け、北に向けて、のんびりと歩き、サン・マルコ美術館へゆく。ルネサンスを代表する絵画のひとつである、ベアト・アンジェリコの「受胎告知」がある美術館だ。いや、その絵がある美術館、というのは、正確ではないだろう。ベアト・アンジェリコは美術史に名を残す画家ではあるが、ドミニコ会の修道士であり、サン・マルコ美術館は、この地のサン・マルコ教会に併設された修道院で、ベアト・アンジェリコは、その修道士であった。


 イタリアの美術館が、素晴らしいのは、美術史上に輝き、世界中の美術の教科書に載っている絵画を、30センチも離れていないごく間近で、じっといつまでも観ることができる、というところだ。ほんものの絵には、他のものには代え難い、強い力がある。フィレンツェで、いろいろな歴史的な絵画を観て、思いを新たにしているのは、どんな写真も、映像も、おそらく、ほんものの絵画がもつ力にはかなわない、ということだ。
 それは美術の教科書をどれだけ眺めても、展覧会の図録をどれだけみても、わからない。楽譜と音楽そのものの関係のように。楽譜は音楽を示す、ひとつの手がかりではあるが、それがすなわち音楽ではない。音楽そのものの力を、楽譜は完全に表現することができない、と、ぼくは考えている。おなじように、美術の教科書や、展覧会の図録は、絵画の力を示す、ひとつの手がかりに過ぎず、ほんものの音楽が聴かなければわからないように、ほんものの絵画は、ごく間近で、好きなだけ時間をかけて観なければ、わからない。
 イタリアの美術館は、そうした芸術の原理に従って、運営されている。ウッフィツィは観るまでに半日も待たされる、という苦情めいた話を聞くが、だからこそ、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」を、絵から30センチの距離で、一時間でも、二時間でも、半日でも、いつまでも観ることができる。それは、美術館として、ひとつの見識であり、人類全体の芸術を共有し、根源的に理解するという観点から、素晴らしいことだ。


 ベアト・アンジェリコの「受胎告知」は、最も奥まった部屋に、大切に掲げられているのだろう、と想像していた。だが、そうではなく、修道院として使われた建物の、階段を上がった目の前に、真っ先に目に飛び込むところの壁にあった。そして、そこが修道士アンジェリコが、この修道院のために、この絵画を描き、それが最初に置かれた、ほんものの場所なのだ。はじめの印象は、明るい、ということで、次に浮かんだのは、新しい、というイメージだった。
 それは実際に修道士が生活した、ちいさな僧房が連なる、修道院の二階フロアにあり、四十三ある僧房の内側にも、ベアト・アンジェリコと彼の弟子たちによる、聖書のエピソードにもとづくフレスコ画が、描かれている。修道士たちの黙想のもととなった、それらのフレスコ画の代表というか、道しるべのような絵画が、ひときわ大きな「受胎告知」であった。
 この絵画が描かれたのは、1442年ころ、とされている。2013年から数えて、571年前だ。その絵画が、どうして、明るく、新しく、感じられるのか。それは、500年前の音楽でも、ほんものであれば、明るく、新しく、感じられることと、おなじだろう。少し遠くから、身を引いて考えると、人類は疲れたころに、そうやって、明るく、新しい、根源的な力を手に入れ、前に進んできた。その力は、おそらく人類の精神にとって、普遍的なもので、500年くらいのわずかな時間で、古くなって、使えなくなってしまうものではないのだろう。
 ウッフィツィでレオナルド・ダ・ヴィンチの「受胎告知」を観たばかりなので、ふたつの絵画の明らかな違いにも、目をみはる。一方で、このふたつの絵が、キリスト教の絵画として、世界で知らぬ者のない「受胎告知」となったことも理解できる。まったく違う絵だが、ともにしているものもある。それは、やはり、明るさ、新しさ、だろう。ふたつの絵画の、ふたつの要素の質は、まったく異なっているけれども、それぞれに人類を励まし、勇気づける、巨きな力となってきた。ひとつの宗教の枠内だけの絵ではなく、そうした「受胎告知」だと、ふたつの絵を間近で観て、心から思う。


 修道院を観た後、今もかわりなく、教会として使われているサン・マルコ教会に入り、サン・マルコ広場のカフェでひと休みする。シニョリーア広場や、レブップリカ広場とは違って、サン・マルコ広場は、それほど広くなく、学生たちがバスを待つフェルマータ(fermata / バス停 ) もあり、フィレンツェではごくふつうの生活の場となっている広場だ。あまりに強い力にふれた後は、そこからまた日常に還るための、手続きが必要だ。世俗的なカフェや、バールが、これだけ街に溢れ、イタリアのひとたちが身近な世間話に余念がないのも、理由があることだ、と、あらためて思う。