旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

立体交差 フィレンツェ―マラッカ

 さて、フィレンツェの旅は、“パニーノの幸せ”で終りを告げたわけではなく、この後もつづく。だが、ここで現実の時間として、8か月ものインターバルが入っているのは、旅のつづきを忘れたからではない。旅ではない側の、慌ただしさが増したからでもない。
 1878年の冬、だから135年前のことになるが、あのD dur(ニ長調)のヴァイオリン協奏曲を書き終えた38歳のピョートル・イリイチチャイコフスキーは、ロシアの鉄道王の夫人であるナジェージダ・フォン・メックの援助を得ることで、作曲に専念すべく、モスクワ音楽院の教授職を辞し、フィレンツェを訪ね、ナジェージダが丁重に準備してくれた丘のうえの家で、人生のひとときを過ごしている。
 その家は、フィレンツェにまだひっそりとあった。ぼくは、その丘のうえの黄色い、古い家をたずねあて、チャイコフスキーが歩いたおなじ道を歩き、彼がみたであろう、おなじ丘のうえの小道からの、トスカーナの景色を眺めることができた。こうした経験は、あまりに含意するものが巨きく、すぐに書くことはできない。8か月が経った今もなお、その丘のうえからの風景について、そこにある家について、さまざまなことを憶いかえし、考えている。旅のつづきを忘れたのではなく、フィレンツェの旅があまりに膨らみ、こちら側の時間を呑み込んでしまったのだ。
 フィレンツェの旅はまだつづく。だが、ここで年をまたぐにあたって、ひとまず、その4か月後に旅したマレー半島のマラッカへと、立体交差をつくりたい。フィレンツェカトリックの“花の都”であり、マラッカはカトリックの“地の涯て”であろう。だが、どちらにあっても、教会は美しく、空気は澄んでいた。