旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

ハリ・ラヤ

 家族連れが和気藹々と乗ったプロトン・サガを横目にみながら、空港ハイヤーメルセデスのマレー人運転手は、みずからも幸せそうにハンドルを握って喋る。
「明日(8/8/2013)はハリ・ラヤ。みんな家族揃って、それぞれの田舎へ帰る。だから、今日は一年で一番、道路が込んでいる日です」
 フロントガラスの内側では、ちまきに似たルマン( lemang / もち米をココナッツ・ミルクで和え、青竹に詰めて蒸し焼きにした、お祭りのごはん)のミニチュアのつくりものが、お祝いの象徴として、揺れている。
 ハリ・ラヤ(正確には、Hari Raya Puasa / hariは「日」、rayaは「大きな、偉大な」、puasaは「断食」。すなわち、イスラム教の「断食明けの偉大な日」)は、家族みんなで帰省し、盛大に御馳走を食べてお祝いする、特別なお祝いの日だ。そんな事情で、クアラルンプールの空港で働く人達から、みんななんだか心ここにあらずで、そわそわしていたのか、と合点がゆく。


 やがて、マラッカに近づき、ハイウェイを降りて、ゆっくりと走ってゆくうち、運転手は道路沿いの建物二階の窓辺に提げられた、ハリ・ラヤのお祝いの横断幕をみて、教えてくれる。
「ここはオープンハウスだ。明日の昼にやってくれば、マレーシアのいろいろな料理が並べられていて、誰でも、お祝いの御馳走が好きなだけ食べられる。外国人でも大丈夫だよ」
 マレーシアには、断食明けをみんなで共に祝う、こうした習慣があり、町々に御馳走や、お菓子をたっぷりと用意したオープンハウスが開かれる。カンポン( kumpung / 村)では、それぞれの家が開け放たれ、都会では社会的に地位のある政治家が、オープンハウスを設営し、誰がやってきても、御馳走を振る舞う。


 メルセデスがいよいよマラッカの旧市街地へと入ると、すでに日は暮れているのに、電光の明るさにあっと驚く。ぼくが親しんできた、朝や昼間こそ、道ゆくひとの姿がぽつりぽつりとあるものの、夜はどの店も扉を閉め、暗闇のなかでひっそりと静まりかえっていた、あのマラッカはもうない。
 街が急速に変貌したからだろう、運転手も迷いがちだったが、やがて、昔はみたこともない、新しいホテルの車寄せに、メルセデスは着いた。部屋にはバルコニーがあり、屋上にはプールもあるリゾート・ホテルで、チェックインの手続きの間、中庭の池に臨む四阿(あずまや)のソファで、洒落たジンジャー・シャーベットを出してくれた。こんなウェルカムの流儀も、かつてのマラッカでは、まずあり得ないことであった。部屋へ上がると、広いバルコニーにはジャグジーまである。


 ホテルのマラッカ川に面したリバー・サイドには、立派なダイニングがあって、宿泊客の姿がちらほらとあった。マラッカ川畔にいるということが、どうも腑に落ちないまま、その食堂のバルコニー席で風に吹かれながら、ラクサ( laksa / 香辛料が効いたマレーシアの汁麺)を晩飯に食べ、ぶらりと街に出てみる。
 旧市街地の中心にあるオランダ広場( Dutch Square )を取り巻く、オランダ東インド会社時代の古い建築群は、記憶のままの姿で、何も変わっていない。だが、電飾を巻き付けたトライショー(タクシーのように乗る、サイドカーのついた人力三輪車)が目に眩しく、ジャランジャラン( jalan jalan / お散歩 )の人通りも多い。
 そして、表通りはもちろん、裏通りのあちこちでも、バーや飲食店が開いている。それらの店主が買いに来るのであろう、扉を半開きにして営業していた、ちいさなよろず屋で、ぼくはアンカー・ビールとナッツを買い込み、ホテルに戻る。マレーシアの国教はイスラム教であり、ムスリムは酒を飲まない。だから、こうして夜更けに酒を出す飲食店がずらりと並び、おおっぴらに酒が買える、ということは、チャイナタウンを除けば、元来、例外的なことである。


 部屋に戻って、バルコニーから眺めても、マラッカの街はかつてない華やぎに満ちている。だからこそ、どこかみしらぬ街にやってきたようで、マラッカに着いた、ということが、どうも胸のなかで落ち着かない。
 朝になって、ホテルのリバー・サイドへ降りて行くと、昨夜、ラクサを食べた席は、きれいにテーブル・セッティングされ、マラッカ川はハリ・ラヤの眩しい朝日を浴びていた。