旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

絶望に効く薬

h_major2014-01-31


 もう随分前のこと、山田玲司という漫画家がやって来た。そして、彼と対談をした。魅力あるキャラクターを描き、物語を紡ぎだすことが、いうまでもなく漫画家の本来の仕事だ。だが、彼はどうしたわけか、そのころ自分が会いたい人に会い、話を交わして、その対談そのものを漫画化していた。タイトルは「絶望に効く薬」、掲載されていたのは「ヤンサン」と巷で呼ばれていた「週刊ヤングサンデー」(小学館 / 2008年に休刊)である。
 ぼくは彼と対談し、それが彼の手で漫画作品となって、「ヤンサン」に掲載された。自分の姿が漫画になって、人気漫画週刊誌に載り、それを読むことができる、ということは、なかなか愉しく得がたい経験である。もちろん、対談が交わされたといっても、漫画そのものは、彼の虚構の作品だ。一方で、その現場を知っているからわかることだが、その人物の容貌や服装、対談が行われた場所を含め、彼は忠実に、彼がいうところの “one on one”(1対1)の現場を再現しようと努めていた。


 かつて、ぼくの小説に、虚構のウクライナ人ピアニストのサインを制作してくれたスラヴ語学者の黒田龍之助が、彼が講師を務めていたNHKラジオ講座まいにちロシア語」のテキストに、ロシア語のスキットを喋る「巧」という人物を出してくれたことがある。この「巧」が黒田氏の作品(テキスト)であるように、「絶望に効く薬」の「林巧」は山田氏の作品(漫画)であり、虚構のキャラクターである。
 虚構というのは、嘘ということではない。現実以上に現実的な力をもつ、とぼくは考えている。対談でも出てくるが、たとえば、お金も……給料も、経費も、お小遣いも、バーゲンの値札も、虚構であり、時間も……1秒も、1分も、1時間も、1日も、1週間も、わかりやすい虚構だ、というのが、ぼくの立場である。それらについては、人間が世界を理解する枠組みとして創りだしたものに、逆に現実的な強い力で縛りつけられている、というのが実情ではないだろうか。


 この「絶望に効く薬」は雑誌掲載後に単行本化され、そのときも送ってもらったのだが、今回、新たに文庫化され、1月15日に小学館文庫のラインナップとして刊行された。届いた文庫本をみてみると、単行本とは違ったつくりで、登場する人物の並べ方が変わっている。単行本では巻が違い、ぼくとは居場所が違った、ガンダム富野由悠季、NYのオノ・ヨーコ、何よりぼくの妖怪の師匠である、水木しげるとおなじ巻となり、その御大のページでも、「荒俣宏」とともに「林巧」がぽっと森のなかの精霊のように浮かんでいることが嬉しい。


 そして「林巧」のページについては、読み返すと、なんともいえず懐かしい。山田玲司が今もなお、この世界のどこかで戦っているのだなあ、漫画を描いているのだなあ、と思うと、世の中、捨てたものではない、と、しみじみと感じる。山田氏自身も書いているが、“世の中、捨てたものではない”と、感じさせることができれば、漫画の、小説の、音楽の、映画の、……つまり、虚構の創造者としては勝ちなのだ。
 この「林巧」で出てくる、新しい小説の構想については、実のところ、まだ創作がつづいていて、編集者と小説家、“しつこい性格”ふたりの、やり取りが延々とつづけられ、遂に最終的な局面を迎えている。世界のどこかで戦っているのは、ひとり漫画家だけではないのだ。
 ところで「林巧」は「小説家であり、音楽家であり、おばけ研究家だ」というネームとともに登場する。「小説家」「おばけ研究家(そのような職業があるとして)」は、実際、そのとおりだが、「音楽家」については、少し事情が異なる。遥かな昔、NHKの番組「あなたのメロディー」( 1985年に終了)に、ぼくが作詞、作曲した音楽が使われたことがあり、楽曲の著作権がクレジットされ、音楽の対価を得たこと(そのとき、番組の司会はクレージーキャッツトロンボーン奏者、谷啓で、ぼくがつくった歌を歌ってくれたのは、声楽家友竹正則だった)や、ごくちいさな舞台で二胡(アルフー)などの弦楽器を弾いて、出演料収入を得たことがあることを、山田玲司が虚構化の過程で取り入れている、ということを、いっておきたい。まあ、小説にもやたらと音楽が出てくるし、このブログも「旋律的」だし、「林巧」は虚構なのだから、別に構わないけれど。