旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

モルグ街への道  豊津駅前すいせん堂

 その街の名前を聞いただけで、ほのかな炎がぽおっと灯り、胸のうちが熱くなる。そんな不思議な火種と一緒に、地名を呑み込んだ、生まれてはじめての土地が 〝モルグ街〟だった。エドガー・アラン・ポー「モルグ街の怪事件」の〝モルグ街〟である。

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 ぼくの月の小遣いは五百円だった。大阪の阪急電車千里線の豊津(とよつ)という駅からしばらく歩いたところ、糸田川というちいさな川の堤防のすぐ近くに、ぼくの家族は暮らしていた。大阪で万博が開かれた一九七〇年前後、ぼくが小学校三年生のころの話だ。その豊津駅前に木造二階建てのすいせん堂という書店があった。ごく狭い売り場の真ん中に、ついたてのような両面本棚ひとつ、というちいさな本屋が、まだ商店街や横丁ごとにあった時代である。すいせん堂は階段のある二階建てというだけで、ぼくには世界一、大きな書店にみえた。

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 待ちかねた月の小遣いを親からもらうと、いつもぼくはひとりで駅前のすいせん堂へ、飛ぶように駆けていった。それから延々と、長いときには半日ほども、……書店員がまったくあきれ顔で眺めかえすくらいの時間、その限られたお金で、さて、どの本を手に入れようかと、悩みに悩むのである。
 そうはいっても、五百円である。握りしめたお金に対して、買いたい本はたくさんあって、とても手が回らない。ぼくはまず一階、片隅の文庫棚の前にしゃがみ込んで、〝黒帽子のクエスチョンマーク〟や〝SFマーク〟が背表紙に刷られた創元推理文庫を隅から隅までみてゆく。コナン・ドイル「マラコット深海」という最も薄い、百十円の創元推理文庫をはじめて買って、読み切ってから、ぼくは大人の文庫を畏れなくなっていた。それに文庫本なら、五百円でも二冊、三冊と買えた。
 文庫の検討をひとまず終えると、今度は雑誌売り場にゆき、早川書房の「SFマガジン」最新号を手に取って。矯(た)めつ眇(すが)めつ、みる。新しい翻訳ものが中心であった「SFマガジン」は、クラシカルな文庫とはまた違った、大人の香りがして、なにより最新の海外人気作家の“訳したて”というところが、とても魅力的にみえた。
 それから、おもむろに階段を上り、二階へ行って、なにか目ぼしい出物はないかと、児童書の売り場をみる。たいていはない。そこで、もう在処がわかっている、あかね書房の「少年少女世界推理文学全集」を、また隅から隅までみる。コナン・ドイルのホームズや、モーリス・ルブランのルパンはいうまでもなく、チェスタートンや、ミルンや、カーや、クリスティ、アイリッシュ、チャンドラー、エラリー・クィーンが背表紙に名を連ねる、作家別、全二十巻のこの本は、いわゆる子供っぽい本の造作ではなく、大人の本としても通じる内容としゃれた箱入りの装丁で、巻ごとに美しい色合いの栞(しおり)がわりの紐が付いていて、ハードカバーは半透明のパラフィン紙で包まれていた。
 ぼくは誰もいないすいせん堂の二階で、その美しい本を手に取って、箱から取り出し、そっと紙と印刷の匂いを嗅いだ。そこに印刷された文字内容や物語だけではなく、本そのものが愛すべきいいものだ、ということを、ぼくはこの全集から教わった。けれども、「SFマガジン」か、「少年少女世界推理文学全集」を一冊買えば、ひと月分の小遣いは、それだけでもう終わりだった。

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 ある月、もらったばかりの小遣いを握りしめて、すいせん堂に駆けていったぼくは、文庫でも雑誌でもなく、半年越しに思いを寄せていた、この全集の第一巻を買った。「モルグ街の怪事件」が表題作となった、エドガー・アラン・ポーの巻である。そんなふうにして、ぼくはあの 〝モルグ街〟へと辿りついた。

 もし生まれかわることがあったとしても、おなじようにして、辿りつきたいと思う。


……月刊「小説現代」1999年7月号より



後記

 美しい木造二階建ての夢の書店だったすいせん堂は、その後、建物は壊され、豊津駅前のショッピング・モールに入ったところまで把握していましたが、2018年に何十年ぶりかで豊津駅を訪れたときには、もうショッピング・モールのなかにもありませんでした。ぼくはすいせん堂が建っていた豊津駅前の土地をしっかりと踏みしめ、そうやって二階建てのすいせん堂をもう一度、感じました。それは今もはっきりと、胸のうちにあります。