旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

〝おばけのいる人生〟と〝おばけのいない人生〟

 台湾で実際にこんなことがあった。ある中年の女性が、からだの具合がどうも思わしくなくなって、病院に出かけた。だが、どこも悪いところはない、と医者にいわれる。それなら安心だ、と、はじめは思ったが、体調は一向によくならない。全身の倦怠感、疲労感は増すばかりだった。彼女は、これは悪い鬼(グイ)に憑かれたのではないだろうか、と疑いはじめた。
 中国文化圏のひとたちは、ひとは死ねば鬼になる、と信じている。目にはみえない死後の世界を、鬼というものを、ひとつの単位として説き明かしてゆく中国文化のやり方は、鬼の存在を受け容れさえすれば、とても合理的である。日本の幽霊譚が曖昧で、よくいえば詩的なのに対して、鬼をあの世の原子(アトム)とする、中国の冥界譚は、理論物理学のごとき、鮮やかな趣きすらある。
 この鬼がうまい具合に生まれかわりの連鎖の席へと運ばれればいい。だが、そうはいかず、寂しい思いをしたり、死に方そのものが悪かったとき、鬼はこの世に生きるひとに対して、悪い働きかけを為し得る、と考えられている。そんな〝常識〟から、その中年女性は、自分の体調不良は鬼の仕業ではないだろうか、と疑った。
 そこで彼女は知り合いに紹介された、台北の道士を訪ねて、からだの具合について相談した。道士は鬼祓(ばら)いの専門家として、いろいろなことを試みた。それでも、体調はよくならない。それどころか、道士のもとへ通うようになってから、具合はさらに悪くなった。
 道士の施術で悪化したのだから、やはり原因は鬼に違いない、と彼女はますます強い確信をもった。そうと決まれば、ぼやぼやしてはいられない。道士や祈祷師と鬼との対決は、キリスト教世界の映画〝エクソシスト〟がそうであったように、原則的にはパワーゲームだと中国文化圏でもとらえられている。必ずしも正義が勝つわけではない。力のある方が勝利する。だから、自分のからだに宿った鬼を追い出すことができず、体調がよくならないのは、その道士の力が足りないからだ、と彼女は理解した。
 そこで彼女は、さらに広く名の知られた、〝強い力をもつ〟と評判の道士を、次から次へと訪ね歩くことになる。しかし、具合は好転せず、逆にますます症状は悪化するばかりだった。〝自分のものであったはずのからだが、鬼によって蝕(むしば)まれている〟という〝現実〟は、彼女を次第に追い詰めていった。〝自分の人生は、これからどうなってしまうのだろうか〟と彼女は悩んだ。
 そんなとき、ある知り合いが〝そんなに具合が悪いのだったら、馬來西亞(マレーシア)で診てもらってくれば……〟とアドバイスした。これも台湾のひとつの〝常識〟である。いわゆる妖魔奇怪に属する出来事について、マレー半島やボルネオには、台湾よりも力の強い、恐ろしい鬼や、妖怪がいる、と台湾では考えられていて、そうした妖魔と日常的に相対しているマレーシアの呪術師は、台湾の同業者よりも強いパワーを持っていると信じられているのだ。だから、台湾でどうしても問題を解決できないとき、彼らはマレー半島や、ボルネオにいる、中国系呪術師の力に頼ろうとする。
 彼女は助言に従い、単身、マレーシアに渡った。そして、人づてに紹介された、何人かの高名な呪術師に診てもらった。だが、やはりダメだった。どんなお祓いを施してもらっても、どんな施術を受けても、鬼を追い出すことはできなかった。そうしているうちにも、体調は悪化するばかりとなった。

 呪術師のひとりは遂に、彼女にこう宣告した。
「あなたに憑いている鬼は、恐らく誰にも祓うことができない」
 彼女は目の前が真っ暗になった。
「それじゃ、私はこれからどうすればいいの?」
 彼女は絶望とともに訊き返した。
「ふたつの道しかない」
 彼女は最後の救いを求めて耳を傾けた。
「あなたが死んでしまえば、鬼にとっては、憑いている意味がなくなる。どうしても鬼とともに暮らせないのなら、みずから死ぬほかない。……そうでなければ、鬼が憑いていることを受け容れて、暮らしてゆくのです。……あなたが鬼を追い払おうとすればするほど、あなたの健康はきっと悪くなるでしょう」
 自殺か、鬼との共存か、……残された道はふたつにひとつ、と宣告され、彼女は茫然となるばかりだった。

 彼女はひとりすごすごと台湾へ帰ってきた。彼女は、これからの人生について、三日三晩考え抜いた。自殺はできない、鬼とともに暮らすしかない、と遂に決めた。
 はじめは落ち着かなかった。彼女は、自分は医者に見放された患者のようなものだ、と思った。ここから先はもう誰も助けてはくれない、とも思った。やがて、彼女は自分のからだのうちにいる鬼に、少しずつ語りかけるようになった。〝どうして自分のところへ来たの?〟〝ここへ来るまでに何があったの?。 
 鬼の返事はなかった。だが、彼女は徐々に、鬼を憎むばかりではなく、利かん気な赤ん坊をあやすように、どうせなら鬼を慰めてやろうという気になることもあった。遂には、目にはみえないものの、孤独な存在として、からだのなかの鬼をいとおしむ気持ちになることすらあった。
 すると、不思議なことに、悪かった体調はさっぱりとよくなって、もともと横たわっていた大きな問題はきれいに解決された。

 彼女は体調の好転を、今も、憑いていた鬼がからだから出ていったからだ、とは考えていない。そうではなく、自分が鬼を追い出そうとする試みを止めたからだ、と思っている。だから、彼女は、鬼に憑かれた危ういバランスで、なんとか平穏な日々を暮らしていると信じている。……奇妙なことに、それが思ったよりも、悪い暮らしではないという気持ちにすらなっている。

 この実話を台湾の友人からはじめて聞かされたとき、ぼくはとても面白く、示唆的な話だと思った。台湾のひとたちは〝そんな人生もあるんだ〟と、ある種の感慨をもって、この話を受けとめている。日本人ならばどうだろうか。ひとにもよるが〝迷信に振り回された浅はかな女性の話〟という見方になるかもしれない。
 この女性の体調悪化の原因が、ほんとうは何であったのか、を追究することに、ぼくは興味がない。それは、いろいろな説明の仕方ができるものではないだろうか。近代的な大病院への通院が、彼女の体調を必ずや好転させ得た、とも思わない。彼女は自分が属する民族文化の〝常識〟に従って、その原因を鬼に求めた。
 鬼が出てくるところで、日本人にとっては〝おばけのいる人生〟だが、台湾のひとたちにとっては、ここまでは〝常識〟の範疇で、さほどのことはない。ところが、鬼がからだから出ていかないことによって、この女性は文字どおり、目にはみえない鬼とひとつのからだを共有するという、本格的な〝おばけのいる人生〟を生きはじめた。祈祷師が諦めた後、彼女は鬼とともに生きる覚悟を決めた。意外にも、そのことが、体調を好転させた。逆に彼女がもし最後まで〝おばけのいない人生〟を選ぶつもりなら、マレーシアの祈祷師が示した処方では、自殺しかなかったのだ。

 おばけを、なんらかの病気といいかえてもよい。あるいは達成できない人生の目的とか、不幸なアクシデントといいかえてもよい。このようなことは、実のところ、ニューヨークであれ、ロンドンであれ、東京であれ、どれほどの近代合理主義に貫かれた大都市で暮らしていても、ひとの人生のなかでは、よく起こることだ。
 ひとは望んで鬼にとり憑かれたりはしない。わけもわからず、気がつけば憑いているから、鬼なのである。そのことについてひとは合理的に納得しうる理由を手にしているわけではなく、この点について、近代合理主義はまったく力のない道士とおなじである。そこにつけられる名前が鬼ではなく、ひとつの病名や、あるいは不幸の名であったとしても、まったく何の救いにもならないことが、いくらでもある。そんなところで人生のわかれ道がくっきりとみえてくる。

 おばけをどう扱うかということは、それぞれの文化や社会のなかで〝常識〟に属することだ。そして、いうまでもなく〝常識〟は世界にひとつではない。
 人類史的なタイム・スケールで考えてみれば、われわれが、今、それこそが唯一絶対のものだと信じている、近代合理主義の〝常識〟こそが、まだ生まれたばかりの新奇で、あやふやなものだという気もする。〝おばけがいる人生〟は、そこそこ、恐ろしい人生である。だが、〝おばけのいない人生〟を歩みつづけることも、おなじくらい……あるいは、さらに恐ろしい人生ではないだろうか、とぼくは思うことがある。