旋律的 林巧公式ブログ

旅とおばけと音楽と、小説とごちそうと物語について。

パニーノのしあわせ

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paninoはイタリアのサンドイッチ。paniniは、paninoの複数形。

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 アパートすぐ近くの〝イ・フラテッリーニ〟(I Fratellini / 兄弟)で、パニーノ ( panino )を買う。男ふたりの兄弟がやっていて、働くふたりで店のなかはほぼ一杯。とてもちいさな店だが、ワインも揃え、店の外壁にグラス置きのしゃれた木棚がしつらえてあり、店頭の路上でパニーノを食べながら、立ち飲みもできる。
 つくり置きはしない。注文を受けてから、つくってくれる。だから、ランチタイムには長い行列ができ、しばらく前から気になっていた。多彩なメニューが30種もあり、ぼくが注文したのは、ロースト・ポークのハムにトリュフのソース。このパニーノだけが3€(360円)で、あとは2.5€(300円)。パンは小麦粉の香りが心地よいロゼッタ( Rosetta )。その名のとおり、バラの花のかたちに似たローマ生まれのパン。パニーノをつくるときに温めてくれる。
 午少し前だったが、数人の行列ができ、もう店頭でワインを飲みながら、パニーノを頬張っているひとたちがいる。フィレンツェらしい風情だ。立ち食い、立ち飲みは、イタリアでは街にすっかり根づいている。バールでのエスプレッソの立ち飲みはみていても清々しい。立派な席をもつリストランテや、カフェでも、カウンターがあり、立ち飲み、立ち食いができるようになっている。そして、カウンターか席につくかで、おなじものでも値段が違う。カフェでドルチェを食べるなら、カウンターなら持ち帰る店頭価格とかわらない。
 酒を売るだけでなく、そんなふうに、店の隅や奥のカウンターで立ち飲みができる酒屋が、かつて日本にもあった。酒があれば、肴も欲しい。酒屋によっては、肴もあった。イタリアでおなじことをやっている酒屋が、エノテーカ( enoteca / ワイン屋、ワイン館)だ。イタリアだから、酒はワインで、フィレツェにはキャンティをはじめ、うまいトスカーナ産ワインがたくさんある。エノテーカならそこですぐ飲める。洋の東西で似たようなことが起きている。
 日本文化は元来、快楽的であったと、ぼくは思うのだが、あるとき、プロテスタント的な禁慾主義に舵を切ったようだ。ささやかながら快楽的な酒屋はめっきり少なくなった。一方、カトリックの本拠地であるイタリアには、酒はもちろん、肴も趣向を凝らしたエノテーカが、街角ごとにたくさんある。
 若いイタリア人らしい男を連れに、ワインで顔をほんのり赤くしながらパニーノを食べていたアジア人女性から、声をかけられる。聞けば、台湾人で台北からフィレンツェにやってきたばかり、という。東京からきた、と伝えると、彼女は、日本人? と軽く驚いて、パパとママは大阪で暮らしているの、という。へえ、ぼくは大阪の生まれだよ、台湾は大好きで繰り返しいっている、と、盛り上がる。そんなふうにして、〝イ・フラテッリーニ〟前の路上は、オペラの幕間のロビーのように、ちょっとした社交場になっている。
 アパートまでは歩いて1分もかからないので、ひとまずパニーノを部屋に持ち帰り、冷蔵庫のモレッティでランチにする。できたてのパニーノはほんとうにうまい。どうして、こんなにうまいのかと、あらためて考える。
 〝イ・フラテッリーニ〟の兄弟ふたりが、特殊な技巧を駆使しているわけではない。パンのロゼッタ、ロースト・ポーク、トリュフ、チーズと、それぞれの食材を受け持つイタリアの仕事人たちが、ほんとうにうまいものをめざして、志の高い職人仕事を成し遂げているからだ、と思う。最後の過程を受け持つ兄弟は、むろん、そうした仕事を台無しにしないよう、丹誠込めたソースをつくり、客の注文があってから、パンを温めて、具材を挟んでパニーノをつくる、という、真っ当な仕上げをしているだけだ。
 サラミでも、プロシュートでも、長期熟成のチーズでも、さらにいえばカラスミでも(長崎、台湾とおなじく、イタリアにもある。海のないフィレンツェでは相対的に極めて高級品だ)、うまいものは、ごく薄く切って、一切れずつ、食べる。そうすると、うまみのもとのアミノ酸を舌が感じやすい、という話を、チーズの専門家に聞いたことがある。そうしたものは、薄く切って、ひとつずつ味わったほうがうまいことは、ぼくも経験的に知っている。
 パニーノには、たいてい薄く切った、サラミや、プロシュートが一枚、大切に挟まれている。ほんとうにうまいものの上手な食べ方だ、と思う。北米には、ハムやローストした肉を、口に入りきれないほど、幾重にも重ねて挟み込んだ、巨大なサンドイッチがある。一見すると、ぜいたくなごちそうにみえるが、うまい食べ方ではない、と思う。そのハムやローストが、ほんとうにうまければ、あんな食べ方はしないはずだ。少なくとも、イタリアではそうである。